治安上の理由から11月11日に予定されていたアラファト元議長死去から10周年の集会が取りやめになった。ガザ地区にあるパレスチナ解放機構(PLO)指導者たちの車・家屋が7日、少なくとも10件爆破され、人的被害は出なかったものの危険な状況が続いているための決定である。この夏には51日間、イスラエルとの戦闘で死者2000人以上、負傷者1万人以上を出したが、ガザは何とか持ちこたえた。
アラファト議長(当時)はイスラエルによる包囲・軟禁状態の中で04年10月10日に体調を崩し、29日にパリの病院へ移送された。しかし、11月11日、血液の病気で死去した。その後12年7月、スイスのローザンヌ大学の専門家が遺品から高濃度の放射性物質ポロニウム210を検出、毒殺が疑われ、仏検察当局は8月に議長の死について殺人容疑で調査を開始した。同年11月には遺体検体の調査のためラマラにある議長の墓が掘り起こされた。
ヤセル・アラファト氏は1929年、裕福な織物商の家に生まれ、56年のスエズ危機時にエジプト軍に入隊、その後ファタハを創設、PLOに加わり、69年に議長になった。武装闘争を開始し、ヨルダン政府と衝突、ベイルートに本拠地を移したが、82年にはイスラエルがレバノンに侵攻した。
93年にはオスロ合意でパレスチナ自治政府が設立されたが、イスラエルの攻撃はガザ地区・ヨルダン川西岸ともに終わらず、いまだにパレスチナ人民は苦難の日常を生きている。
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