被爆70周年の今年、米ニューメキシコ州アラモゴード住民も最初の核実験トリニティ(45年7月16日)から70周年である。アルジェリアのサハラ住民にとっては55周年(フランス初の核実験『砂漠の青ねずみ』60年2月13日。独立戦争中、規模は広島型の4倍超)である。
さらに無数の核実験がオーストラリア先住民地域、南太平洋で行われた。この人々は「冷戦」時代に灼熱の放射能地獄を見てきた。
ニューメキシコ州住民は現在もガン罹患率が高い。しかし、実験とガンとの関係を立証できず「被爆補償法」の壁に突き当たり、高齢の被爆者は「一生、補償は受けられないだろう」とつぶやく。
アルジェリアでは仏兵士が実験前日に村にやって来て一人ひとりにネックレスを配り、着用を命令、数日後再び現れ、回収したと村民が証言している。その後も地下核実験が続き、遊牧民の水源が汚染され、戦争敗北後はそのまま遺棄して去った。
今もガン、視力喪失、皮膚病患者は多く、先天性異常の子どもが生まれている。アラモゴードの住民もサハラ住民も危険について警告はなく、避難命令もなかった。
「人類の善のため(米軍総督)」に46年に強制移住を命令されたマーシャル諸島ビキニ環礁の住民は今も帰島できない。「すべての戦争の終結のため(同)」水爆ブラボー(54年)を含む67回の実験がここで行われた。
住民はロンゲリック島、キリ島と移住したが、海は汚染、そして今、海面上昇のため住むところも沈もうとしている。
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