マルコス長期独裁政権が打倒された86年2月25日から30年目の25日、フィリピンのマニラ首都圏で記念式典が開かれ、アキノ大統領が出席した。
1965年から約20年、大統領職にあったマルコス(故人)は市民数万人が包囲する宮殿から米軍ヘリコプターで逃げ、亡命した。その3日前の22日、市民200万人がエドゥサ(EDSA)道路を占拠、国軍改革派将校の決起を支援、政権退陣に結び付いた。
政権の危機は80年代初めから始まっていた。対外債務支払い不能状態から国営企業をはじめ買弁階級の大独占企業も倒産、失業率は12%超(85年)、戒厳令下で軍は肥大化していた。
米国亡命中だったベニグノ・アキノ氏が83年8月21日、帰国と同時にマニラ国際空港で暗殺された。国民は怒り、州都や首都郊外では大衆運動、農村では武装闘争が激化、カトリック教会も政権交代を要求、マルコス支持勢力は弱体化した。
しかし、新政権は現政権に至るまでフィリピンの大ブルジョアと地主層を代弁する政権である。反労働者的政策、活動家の暗殺、農村部の虐殺事件などの政情不安、汚職・腐敗体質、半植民地的・半封建的支配構造は変わっていない。
フィリピン共産党―新人民軍(CPP―NPA)は農村部で政府軍と衝突を続け、休戦協定は実現していない。南部ミンダナオ島では2012年にアキノ政府とイスラム武装組織が和平の「枠組み合意」に調印したが、今年の課題とされている自治政府創設は遅れている。
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