朝鮮労働党第7回大会が5月6日から9日まで平壌で開かれ、各級党機関で選出された議決権代表者3467人、評議権代表者200人が参加した。第6回大会は80年年10月で、36年ぶりの開催となった。
この間、朝鮮半島を取り巻く東アジア情勢も世界情勢も大きく変遷した。ソ連邦を中心とした社会主義圏は消滅した。「平和協定未締結」状態による米からの核の脅し、米・朝合意および共同声明の米国からの一方的破棄、「分断」による米韓の軍事的圧迫と挑発行為、日本を加えた政治的敵対政策と経済制裁が続いた。
さらに、洪水・干ばつなど自然災害が重なり、国防のため「準戦時体制」「先軍路線」を採らざるを得ない試練の期間となった。朝鮮自らにとって厳しい歴史の嵐を生き抜く闘争の時代であった。
この間に2人の政治指導者が逝去した。こうした難関を克服し、13年3月の党中央委員会総会で採択された「並進路線(経済建設と軍事力建設)」にもとづいて近年、経済・社会建設と科学・文化・芸術・スポーツの発展が着実に達成されてきた。
党大会でキム・ジョンウン第一書記は中央委員会活動報告で国内経済建設と南北の自主的平和統一、対米政策について述べ、核については「敵対勢力が核で自主権を侵害しない限り、先に核兵器は使用しない」、外交では「過去に敵対関係にあった国々とも関係を改善し、正常化していく」と表明した。
9日、第一書記は党委員長に推挙され、中国共産党の習近平総書記は就任に祝電を送った。
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