7月に入ってスーダンの首都ジュバでの銃撃戦など急速に悪化した治安情勢のために日本のODA関係者がチャーター機で国外退避するなど、独立5年を経過した南スーダンは記念日を祝う状況にない。スーダンとしての独立は1956年だが、以来、南部の分離運動が長期の内戦になり、05年和平合意、10年の総選挙と11年1月の住民投票により、同年7月、南スーダン共和国として成立した。
しかし、この間に犠牲者200万人、難民・国内難民400万人超を生み、アフリカ最長の紛争といわれた。日本の面積の1・7倍の国土に約1200万人が暮らす。南北境界付近のアビエイ地域は産油地帯であり、レアメタルも豊富な国だ。ナイル川が国土の中央を流れ、湿地があり、適度な降雨量があるにも関わらずインフラが整備されずに農業は停滞している。
平和の定着と民間人保護を目的にしたPKO、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)には現在、63カ国から制服の軍・警察関係者が約1万4000人、民間人約2500人が参加、陸上自衛隊からは350人の施設部隊が派遣されている。
政権の内紛に起因する13年12月の首都での武力衝突が全土に広がって以来、デモの組織など国民の反PKO感情とともに現政権と国連の関係は緊張を増している。PKO要員が襲撃され、殺害されたケースもある。
英統治による南北分断策と民族・言語・宗教を無視して引かれた国境線の歴史的矛盾が根底にあり、さらに資源をめぐる覇権が背景にある。
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