犠牲者追悼式
文在寅韓国大統領「完全解決」を約束
3万人も虐殺された韓国の済州4・3事件(以下、4・3)から70年目を刻んだ4月3日、漢拏(ハルラ)山を北西に眺める「4・3平和公園」で済州島4・3犠牲者追悼式が行われた。 遺家族や市民など約1万5000人が参加した。78年に小説『順伊(スニ)おばさん』で4・3の真相を表した作家玄基栄(ヒョン・ギヨン)さん、「済州4・3遺族会」の梁閠京(ヤン・ユンギョン)
会長の挨拶に続き、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が登壇し、真相究明と名誉回復に加えて賠償・補償などの立法施策による4・3の「完全なる解決」を約束した。
日本支配の暗部が
式典の場で私がまず思い起こしたのは、「解放」後も日本の植民地統治の残滓が弾圧に活用されたことだ。武装した南朝鮮労働党が一斉に蜂起したのが済州4・3だが、弾圧の一端を担ったのが親日派の治安機構(警察)であり、右派組織西北青年会の存在だ。李承晩と米軍政が統治で重用した。
大量殺戮を招いた焦土化作戦を実行した第9連隊宋尭讃(ソン・ヨチャン)連隊長は大日本帝国軍人出身者だ。さらに朝鮮戦争時には植民地法制である「予備検束」で4・3での要視察人を「北に協力する」として拘束、虐殺した。植民地支配という暗部は、「解放」後も暴力の行使として現れたのだ。
事件後は家族などにも罪を及ぼす「連座制」が人々に沈黙を強いたが、済州島出身の在日朝鮮人とて同様だった。70年代半ば、大阪の夜間中学生とともに夜間中学増設運動を続けた私は、あるオモニの生徒が毎月のようにチェサを執り行っていたことを知った。しかし、誰がどこで、どうして亡くなったかは一切話さなかった。政府が4・3を「暴徒」「共産主義者」と喧伝し、タブー視したことが沈黙を強いたのだ。
分断を乗り越えて
もう一つの暗部は対立を激化させた米ソ冷戦のイデオロギーだ。戦後世界を支配し朝鮮半島を主戦場とした。4・3に続いて朝鮮戦争が勃発し、同族相残(同胞同士が殺し合うこと)を生んだ。4・3の発端は1年前の3・1節(3・1独立運動)だが、米軍政は大規模なゼネストに発展したことに驚愕、「共産主義者が扇動した」とみなして過酷な弾圧を課していった。
文大統領は4月3日の挨拶で「左右対立の分断から卒業を」とし、新たな指標「正義と公正」をあげた。分断ゆえに生じた4・3は分断を乗り越えた南北和解でしか「完全なる解決」はない。また日本の植民地支配の克服(親日派)が韓国の課題でもあり、日本こそが「完全なる清算」を遂げねばならない。『真相調査報告書』(03年)で明記した米国の責任を糊塗できない(日本語版557頁)。
韓国の民主化とともに真相究明が進んできた4・3。犠牲者の3分の1が老人、女性、子どもたちである。文大統領は「国家権力の犯罪」として謝罪した盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に続き再度謝罪した。「済州4・3特別法」をさらに改定し賠償、補償、名誉回復者の拡大を加えて、「世界平和の島」として「平和と和解」をめざす。
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