キューバ・東部オリエンテ州のサンティアゴ・デ・クーバ市で7月26日、「モンカダ兵営襲撃65周年」式典が開かれ、キューバ共産党のラウル・カストロ第一書記は「いかなる困難があろうと国民は社会主義革命を守るであろう」と祝賀の辞を述べた。
1953年7月26日、バティスタ独裁政権打倒のため、131人の青年たちが政権の軍事施設を襲撃した。指導者はフィデル・カストロ(26歳)であった。青年たちは前夜、「明日は勝つか、負けるか、どちらかだ。いずれにしても運動は勝利する。勝てば、マルティ(19世紀の独立戦争指導者)の事業はまもなく始められる。反対のことが起これば、この努力は国民が今後前進するための一つの実例になるだろう」と、計画の目的への信念をもっていた。
カーニバル客にまぎれて作戦は進められたが、軍事的には失敗、全員が殺されるか、逮捕されるかのどちらかであった。フィデル・カストロは逮捕され、裁判にかけられ、国外追放となった。このときの裁判での陳述「歴史は私に無罪を宣告するであろう」は単なる陳述に終わらず、革命の指針として国民に広く行き渡っていった。
その後、メキシコからヨット・グランマ号でキューバに上陸、シエラ山地での武装闘争を経て、1959年1月1日、反独裁闘争は勝利、バティスタ大統領(当時)は国外逃亡した。反独裁闘争が社会主義の道を進むと、歴代の米政権は経済・金融・貿易封鎖政策をとり続けた。オバマ政権時に国交は回復したが、敵対政策は今もなお維持されている。
(富山) |