風刺と批判精神の力によって 現実社会の真の姿を表現した
〜反権力主義の志向が強かった〜
社会と人間に対する皮肉と諷刺、ユーモアと批判精神にあふれた作品を世に送り出した作家がいる。プロレタリア文学の作家、葉山嘉樹と『ドン・キホーテ』で世界に知られているミゲール・デ・セルバンテスである。この2人の作家と作品にどのような共通性があるのかを探求していきたいと思う。
葉山嘉樹の代表作『淫売婦』、セルバンテスの代表作『ドン・キホーテ』がある。作品の構想と着手は牢獄の中であったことが、まず2人の作家に共通している。それは反権力主義の志向が強かったことを現わしていると言える。
葉山嘉樹の創作作品には、人間としての底深い孤独を知るがゆえの独特の陰影が形成されている。創作態度について述べた「創作の苦しみ」(雑誌『文芸道』、1927年9月号)がある。
「私は創作する場合非常に苦しむ。私の書こうとする作品の中の人物と同じ苦しみを苦しみ、悩まないではいられない。
創作は主として感情の方面からそれの鑑賞者を打つものだから、この苦しみと悩みが完全に描き出されなかった場合には、何の役にも立たない。そんな何んの役にも立たないものは、芸術作品でも創作でもありやしない。」
さらに続けて言う。創作の場として最も適した場所は刑務所だったという。□ プロレタリア文学の世界でいつまでも読み継がれる作品を書き上げた、作家の言葉にはただうなずくだけである。『文芸戦線』1925年11月号に掲載された「淫売婦」の書き出しがまたいい。
「此作は、名古屋刑務所長、佐藤乙二氏の、好意によって産み得たことを附記す。1923、7、6―」
『淫売婦』は病み、倒れた淫売婦を通して資本主義社会で搾り取られて生きる労働者の姿を重ね合わせている。虐げられた人の運命を呪い、憤懣を体ごとぶつけてくる感覚が心に突き刺さり鈍い痛みを覚える。
「ビール箱の陰には、二十二三位の若い婦人が、全身を全裸のまゝ仰向きに横たわっていた。彼女は腐った一枚の畳の上にいた。そして吐息は彼女の肩から各々が最後の一滴であるように、搾りだされるのであった。
彼女の肩の辺から、枕の方へかけて、未だ彼女がいくらかの物を食べられる時に嘔吐したらしい汚物が、黒い血痕と共にグチャグチャに散らばっていた。髪毛がそれで固められていた。そして、頭部の方からは酸敗した悪臭を放っていたし、肢部からは、癌腫の持つ特有の悪臭が放散されていた。こんな異様な臭気の中で人間の肺が耐え得るかどうか、と危ぶまれるほどであった」
悲惨な生き屍の淫売婦に、虐げられた人々への慈しみを感じさせる表現力、葉山は人間的な温かな眼をもって生きる姿勢を終生、崩すことはなく、その生き方が彼の文学の中にはしっかりと投影されている。
「私は淫売婦の代りに殉教者を見た。
彼女は、被搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた。」 淫売婦に、「殉教者を見た」と言い切る葉山の文学は人間回復を志向する創作態度だといえる。
『淫売婦』では、資本主義社会の機構の中で搾取され、生きたままボロボロの体と心に変形し、カスとして使い捨てられる労働者階級を暗示している。その表現が『淫売婦』では、「六神丸」の文字となっている。「六神丸」とは漢方薬で、麝香、牛黄、人参などを含み、鎮痛、強心、解毒などの効能があるといわれている。起死回生の薬なのである。「六神丸」こそが資本主義社会機構の矛盾を象徴的に表している。
おそるおそる男に連れられて倉庫に入り、淫売婦と対面するまでの不安感を「私は六神丸の原料としてそこで生き肝を取られるんだ。」というように、青年の内的心理状態を表現しながら、「起死回生の霊薬なる六神丸が、その製造の当初に於て、その存在の最大にして且つ、唯一の理由なる生命の回復、或は持続を、平然と裏切って、却って之を殺戮することによってのみ成り立ち得る。とするならば、『六神丸それ自体は一体何に似てるんだ』そして『何のためにそれが必要なんだ』それは恰も今の社会組織そっくりじゃないか」と、この作品の主題を明らかにしている。
その上で、「彼女は、人を生かすために、人を殺さねば出来ない六神丸のように、又一人も残らずのプロレタリアがそうであるように、自分の胃の腑を膨らすために、腕や生殖器や神経までも噛み取ったのだ。生きるために自滅してしまったんだ。外に方法がないんだ」と結論づけている。
「人を殺さねば出来ない六神丸」こそが、この資本主義社会の機構そのものである。「労働力を商品として再生産する」「労働力こそが剰余価値をつくりだす」ことによってしか、社会機構を維持することができない新本主義の根源的な矛盾という本質を端的に掘り下げ切っている。
淫売婦という悲惨な実態を描き込みながら、「六神丸」の効用から資本主義社会の醜悪さと普遍的な矛盾を鮮やかに浮き彫りにした。その描き方によって芸術性の高い、深く心の奥底に残る作品となり、近代文学の中でプロレタリア文学の金字塔を打ち立てた。
『ドン・キホーテ』は、スペインの作家、セルバンテスの手で描かれた一大叙事詩といってもよい。永く、永く世界中に読み継がれている不朽の名作だ。だが、日本では一部が読まれたり、児童書として抄訳されている作品を読んでいるだけで、前編、後編を通読している人は少ない気がしてならない。もっと全体作品を味読した方が心に深く残影を刻む作品だと思う。
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