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2018.1.22
葉山嘉樹『淫売婦』と
セルバンテス『ドン・キホーテ』の共通性 
(下)
 風刺と批判精神の力によって現実社会の真の姿を表現した
 〜世間常識を問い直す能力 政治に苦しむ民衆を表す〜
 
 スペインにおいてなぜ、騎士物語が大衆の間に好感をもって迎え入れられたのだろうか。歴史的に見れば、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸の「発見」が大きい。スペイン帝国の国家的、民族的な世界進出の野望と合致した。

 アメリカという新世界は、開拓の冒険と侵略の新たな対象となり、スペイン人にとって騎士物語はその欲求を満たす世界観だったのである。スペイン帝国の拡張政策の時代は、スペイン人がドン・キホーテそのものであった。新世界のアメリカに遍歴の旅に出発する。そこには黄金という夢の世界が大きく広がっていた。

 しかし、世界の覇者から凋落していくスペイン帝国は、多くのスペイン人に挫折感を味あわせ、厳しい現実を突きつける。

 騎士物語の破綻は、人間にとっての理想と現実の落差を実感させた。軍事的、外交的な敗北、国民の窮乏化は過酷な現実社会をあるがままに見せつけたといえる。

 セルバンテスは、16世紀半ばから17世紀初頭のスペインの凋落を目の当たりにし、困窮のうちに生を閉じざるを得なかった人間である。ただ、セルバンテスは失望だけで終わらなかった。封建社会が崩壊する兆候を見せ始めた時代である。

 人間が理想を追い求めて挫折を繰り返す存在だと認識し、『ドン・キホーテ』の作品の中にどんな逆境のうちにあっても歴史と社会を前に推し進める人間を信じる期待と希望を描き込んだからこそ、文学として読まれ続け、現代に生きる作品となったといえる。

 だから、セルバンテスは被支配階級の中産・下層階級の人びとを作品に登場させてスペインの民衆の生き様をリアリズムで描き、その社会制度を浮き上がらせることができた。何よりもスペイン帝国の抱える過酷な現実への反発があったからだ。

 『葉山嘉樹日記』(筑摩書房)の「昭和十一年三月二日―三月十二日」に葉山嘉樹の記述がある。

 「子供の頃、九州で、『いのちいき』と云ふ言葉を使ってゐたのを思ひ出した。暮し、生活、と云ふ風な意味だった。

 『命生き』であらうか。

 直截な、哲学的な言葉である。生命の根原を衝いてゐる。文明とか文化とか云ふものは、人間から思考を奪ふものなのだらうか。

 確かに現在は思考や直感を人は奪われてゐる。

 借衣で間に合はせて終つてゐる。

 生命保険とは何事であるか。

 保険金の為に生命があるのか。生命を失くす為に保険が要るのか。

 どつちにしたつて『保険つきの生命』だなんてナンセンスだ。生命を馬鹿にしたけれや保険に入るがいい。

 生命とは功利的なものではないのだ。のつぴきならぬものなのだ。

 大臣の生命も、ルンペンの生命も、違つたところはありはしないのだ。」 葉山嘉樹の思考方法には、独特の考え方、世の中の常識、世間常識を問い直す、疑える精神が強く宿っていた。

 世間では当たり前と思われていることを真正面から見て鵜呑みにせず、左から右から、上から下から見て判断する確かな見方が形成されている。だからこそ、物事の本質も鋭く捉え、批判精神と諷刺の力でもって表現する能力が身についていた。

 2人の作家と作品に共通しているのは時代の潮流に流されず、確かな視点で事の本質を見抜き、それを表現する力を持っていたことである。一言で表すなら、「人間回復」の力を有する文学といってもよいと思う。

 葉山嘉樹は、帝国主義日本が戦争体制を築き、海外侵略を進める動きにプロレタリア文学という芸術を通して体制、国家権力に抵抗する。

 芸術でもって虚無感に陥り、人間らしく生きることを見失い、時勢に流されて行く人びとに対して人間性を目覚めさせる創作活動をした。

 ミゲール・デ・セルバンテスは、封建制度が崩壊していくスペイン帝国の現状をあるがままに見て、騎士物語を通して民衆の立場を擁護した。

 2人の作家は自らも貧苦にあえぎ、国家権力から弾圧されながらも生涯変わることなく、困窮する民衆に寄り添い、その叫びと思いを身近に感じ取っていた。

 民衆の立場に立っていたからこそ、作品にはいつも現実社会が描かれ、諷刺と批判精神が効いた作品が創り出されていったといえる。

 そのことによって世界で、歴史の中で圧迫の政治に苦しむ民衆の真の姿を表現することができた。だから、時代を超えて永遠に読み継がれる文学となったのである。

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