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一巻の詩集と
一冊の手ノート帖と
一枚の紙幣と
若ものの出発にはそれだけあれば不足はない。
一夜 それらをふところに
たびとは花火工場を出てしまつた。
一巻の詩集は―「死 刑宣告」
一冊の手帖には―不逞の言葉と爆薬の方メ程ト ード式。
だいなまいとの作り方は小イズバ屋の仲間から やんやの拍手だつた
……酒と 歌と たえ まのない議論と足にまかせ 行きついたところがその夜の べつどだ。
空家
後援
のべんち
そして銀貨一枚の安宿……。
十銭の牛めしにおそい朝食をすませ
日が暮れれば 灯にむらがる蛾のやうに
どこからともなく小イズバ屋にあつまつて来る。
ふたたび 酒と歌とはてしない議論と
昨日の夜に 今日がつづく。
だれかが金をはらひ
そして だれかの部屋へ泊りに行く。
思想だけが自分のもので
それ以外は 誰のものでもない
すべての権威をみとめぬ自由な結合が
仲間のおきてだつた。
ああ あの爆発のやうな青春は
いまどこへ行つてしまつたのだらうか。
はげしい理想のゆゑに はげしい破壊をのぞんだ
わかいてろりすとの夢は!
「――そのとき わたしは
最後の言葉をつぶやくであらう
拳銃は わたしとともにある!」
ロープシンの言葉は
自由の理イデエ念にささへられて美しくひびいてゐたのに……。
社会にぶつける激しい憤りと、静かな怒りが同居している詩だなあと思う。物語詩「黒の時代」の一章である。詩集『黒の時代』(昭和52年11月15日発行、栄光出版社)。
創作者は上野壮夫、作家の小林多喜子の夫だ。長篇詩「黒の時代」は、上野の代表作といってよい。
上野壮夫(うえのたけお) は、1905(明治38) 年6月2日、茨城県筑波郡作岡村(現つくば市)大字安食に生まれる。
早稲田高等学院露文科に入学、ダダイズム、アナーキズムに影響される。日本プロレタリア芸術連盟の分裂の際は労農芸術家連盟に所属したが、その後、ナップ系の機関誌『戦旗』の編集に携わる。『人物評論』、『人民文庫』の同人となる。花王石鹸に入社、宣伝を担当する。戦後は、コピーライターの先駆者として現代社会を駆け抜けた。
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