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  4. 2018.08.20
作家 新田 潤 (上)
プロレタリア文学と時代

 懐かしい言葉を見出した、「文学青年」という表現だ。雑誌『日暦』第73号(昭和53年11月1日発行)の追悼号に、若わかすぎ杉慧けいが書いた「日暦友情――新田順の笑いをふくめ――」の中にある。

 「ここに一冊の文庫本がある」で始まり、作家の高見順が同人の会合に自分の本『私の文学観』(現代教養文庫)に謹呈の署名を入れて持参したことから話が始まっている。

 「文学青年論」のなかの一句を引用する。

 「やや誇張して言えば、文学青年だけを信じている。ややもすると陥りそうな、未来に対する絶望から、かろうじて私を救ってくれるものは、文学青年の存在である。文学青年の存在をおもうことである」

 そしてつぶやく。「七十代半ばを過ぎた私はあらためてこの文句を見つめる。高見はこの十年後に亡くなっている。五十八歳」 そこからがおもしろい。若杉は己の老いを笑い飛ばす。

 「老年に及んで尚青年であろうとすることはさてもむずかしい問題で有る。しかしあまりに鯱張って考えず、昔を今になるよしもないから、明日は明日自ら思い煩うことにして今日のこの時々刻々を、正直に素直に、生きるしかあるまい。それが文学老年部文学青年として生きる唯一の血路に思われる」

 さらに、日暦同人の新田潤の追悼文なのに執拗に高見順の言葉を引用する。

 「いつも本音を吐いているかのごとく振舞う者は、偽善者か愚者である。本音はなかなか吐けないものと知りつつ、常に吐いていると言うのが前者で、ほんとうに自分は本音を吐いていると思いこんでいるのが後者である。――」

 対人関係で本音を言って付き合っているように立ち振る舞う人間はウソをついている、信用できないと痛烈な人間批判と世間を冷静に見つめる眼の必要さを言っているのだ。聞くに値する言葉だ。

 なぜ、作家の新田潤の追悼文の中でこんなに高見順の考えを大きく取り扱ったのだろうかとふと疑問がわく。

 少し疑問が溶解したのは、『日暦』の「高見順追悼号」の編集後記に石いしみつしげる光葆の一文を目にしたときである。

 「高見といえば新田といわれるほど学生時代から無二の親友であった」、と言われた新田潤という作家の存在があった。浅草伝法院で催された「武田麟太郎・高見順を偲ぶ会」に風邪を押して出席、それが体を一段と悪化させる。

 高見順を前面に出すことで、メダルの表と裏でもあった新田潤の真の姿を浮き彫りにしたのである。それは時代に対してどこまでも「片意地」、信念を貫いた作家の姿勢を表していた。

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