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  4. 2019.11.26
作家 井上 友一郎 (下)
プロレタリア文学と時代

 井上友一郎(いのうえともいちろう)は、1909(明治42)年3月15日に大阪府西成郡中津町で生まれた。本名は友一という。97年(平成9)年7月1日、88歳で没。

 早稲田大学仏文科を卒業。『人民文庫』に参加した。作家の田村泰次郎、坂口安吾らと同人誌『櫻』で活動し、作家を志す。31年、「森林公園」を発表して川端康成の評価を受けた。都新聞社の記者となり、38年には特派員として中国戦線に従軍した。39年に、ダンサーを描いた風俗小説「残夢」が丹羽文雄に評価され新聞社を辞めて作家活動に入った。

 戦後、代表作に『ハイネの目』(風雪社)『絶壁』(改造社)などの著書が多数ある。映画化された作品は10本もある。戦後は「売れっ子作家」だったといえる。余談だが、1970年にはゴルフ場の霞台カントリークラブ社長にまでなっている。

 風俗小説の作家として90冊以上の本を出版し華々しく創作活動した井上友一郎、だが今日、どれだけの人がこの作家の名前を知っているだろうか。

 『人民文庫』に関わっていたからこそ、調査するなかでひっかかってきた作家であった。何か悲しいものを感じた。

 雑誌『日暦』(第25号、昭和27年5月1日発行)に、「井上友一郎のこと」を『人民文庫』で時代を共に生きた田宮虎彦が想い出を書いている。

 「一九三六年十月二十五日の検挙の時、私は湯浅克衛氏と一緒にひっくゝられて、警察まで連れて行かれたが、ジャスミンという喫茶店の前まで来た時、群衆にまじって井上氏が哀れな私たちの姿を呆気にとられてみていた。井上氏もその会合に出る筈であったのだが、会場に来る途中友人につかまっていた為に難をまぬかれたというわけである」

 警察官から手をつながれていたのは、立野信之、田村泰次郎、高見順、新田潤ら二十数人が新宿の雑沓の中をさらしものになってひったてられていく姿を想像すると大舞台な感じがする。この事件は権力のでっちあげだった。作家の徳田秋声の研究会のためレストランに集まっていただけなのに「無届集会」を理由に検挙するという権力の弾圧、これも時代の空気であった。

 難を逃れた井上友一郎のその後は、通俗小説で名が知れ渡っていくことになる。

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