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2020.01.21
作家 田村 泰次郎 (上) 
プロレタリア文学と時代

 第二次世界大戦の余波が残る日本で、昭和22(1947)年、雑誌『群像』3月号に「肉体の門」が発表された。単行本として出版されるやいなや120万を超えるベストセラーとなり、空気座によって舞台で上演されると1000回超えるロングラン公演を記録し、48年には東宝で映画化されると大ヒットを飛ばした。

 小説は敗戦で価値観が180度転換し廃墟と化した日本を、娼婦としてたくましく生きる女性たちを描いた。戦争を厳しく問うたことに対して社会が反応したからだった。

 作家は田村泰次郎。戦前は、雑誌『人民文庫』に作品を発表していた。彼の思想の片鱗をうかがわせる文章が『人民文庫』第1巻第4号(昭和11年6月発行)の「自殺と恋愛の世相-公式論は有難くない-」にある。

 「自殺の流行」は社会問題と考え、「立派な『公式』では仲ゝ解決のつく問題ではない」と批評家を切る。その上で、市井の人間=庶民との距離感を指摘する。それから社会の常識を問題にする。

 「我々の考え方なり生き方が不健康だといわれれば、たしかに『健康な常識』とかいうものから見れば、不健康には違いない、けれど問題はその『不健康な非常識』が我々の間では常識的なものにさえなっているのだ。この奇妙な認識から問題を発展させてかからねば」という。

 つまり、この社会に住み、暮らしている人間のなかに染み込んだ意識はそう簡単には変わらない、取り除けないと断言している。

 いくら立派な評論をしても砂上の楼閣に過ぎないと指摘する。「不健康な非常識」の中にどっぷりと頭も体も浸かっている人間はどうしたらいいのか。

 そのためには現実の社会の本質を見極める視点が必要だと説く。社会的存在が意識を規定するというのが真実ならば、自分たちが知らず知らずのうちに身につけている社会的な常識を疑う精神が武器となる。世界観を180度変える逆転の発想ともいえる。

 「だから『自殺の流行』といっても急に世の中の我々の生活を形造っている条件が変動を来したわけではない。厳密にいえば、今日の大多数の人たちは殆ど自殺しているといってよかろう。ただ『肉体』が生きているのみであって、すでに定見も目的もない肉体という最後の不気味な物質がその生存を止めるのには、単に想像以上の僅かな衝撃さえ与えればいいのだ」

 何を言っているのか。現実を変える行動は「一つのものを掘り下げて行って、その中に全体を見ようとする眼が一番大切だ」と言い、この視点は自殺の場合、恋愛の場合も共通しているという。
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