田村泰次郎(たむらたいじろう)は、1911(明治44)年11月30日に三重県四日市市富田に生まれ、県立四日市高等学校を出て早稲田大学仏文科を卒業、作家を目指す。83年11月2日に心筋梗塞で亡くなる。71歳。
『新科学的文芸』『人民文庫』などに作品を発表する。戦時中は5年以上、中国山西省に従軍した。田村泰次郎は従軍作家ではない。戦争終了後は中国で抑留されて46年に佐世保港に帰還する。
従軍生活を記録した「山の兵隊―十五年冬より春へ」では、「戦場の生活の中では、いつも考えて行動するなどということはゆるされない。まづ行動があるのだ。自分の行動が倫理上でどういう意味になるのか、何もわからない」と記している。
これはどういう意味なのだろうか。戦場化は特殊な異常な世界に置かれる。人間としての個をもつことはできない境遇となる。人間が獣と化す。そうしなければ生き延びることはできない。
その極限状態から解放された敗戦が、復員した田村に『肉体の門』を描かせる動機となった。風雪社から出版されたが、軍国主義日本の下で個人は抑えつけられ自由を剥奪されていた感情が爆発する人間のエネルギーをいやというほど感じとってしまう。
『肉体の門』は、「肉体文学」と総称された田村泰次郎の代表作である。戦争後、爆弾で破壊され廃墟となった都会は夜になると原始の世界に還る。本能で動く人間がいる。
フランス文学を学んだ田村は早熟の天才文学者、レイモン・ラディゲが18歳で描いた『肉体の悪魔』に大いに影響を受けている。
戦後の社会に一大旋風を巻き起こした『肉体の門』は、「肉体の解放こそ人間の解放である」と説いた小説である。ガレキのビルの中で私娼たちが群をつくり、生き抜く姿を刻みながら掟を破る女には天井の鉄骨に半裸で宙づりにしてリンチを加える。
廃墟と化した都市に漂うニヒリズムと戦争下の統制から解放された人間性がぶつかりあいカオスをつくる。大衆は時代の空気が肌に触れ共鳴する。
戦前と戦後、価値観の転換にとまどう民衆に受け入れられたが、抑圧され、差別された人間が自らを解き放つ瞬間のエネルギーはすさまじい。人間の再生を描いた田村泰次郎は戦争を憎み「どんな大義名分のある戦争」も拒否した作家だった。 |