『人民文庫』創刊号(昭和11年3月号)に、作家の石光葆がなぜ文筆活動をするのかについて「二重生活」という題で書いている。
「二重生活という言葉は、少なくとも日本では明治以後のことであるらしい。二重人格の生活が必ずしも二重生活ではなく、二重生活を営む者が必らずしもに二重人格者ではない」とまず前置きする。そこから資本主義社会の本質にずばっと切り込んでいく。
「資本主義の発達につれて社会機構が複雑多岐になり、企業の分業化が極端に行われ、労働価値が過少に換算され、人は一個の人格として生産面に従事し難くなった、従って一部面を以て或る企業に参加し、経済的に余裕がなくなり―往々にして食えなくさえなるので、他の部面を以て別の企業に参加せざるを得ない。一口にいえば人間の値段が下ったので、ここに怪しき二重生活が生れ、奇術師の如くさまざまにポーズを変えて現代人は呼吸するのである。…昼も夜も休む暇なく生産面から生産面へ駆けずり廻る姿は、まことに暗澹たんたらざるを得ない悲惨である」
と言いながら、自分の生活をふり返る。そこには昼の勤め人と仕事が終わってからの別人になった自分を楽しそうに語っている。
「昼は温順な勤人だが、一度び社の門を辞するや、豹変して逞しき疑問符になる。住居座石ともに忠実平凡なる勤人の如くでも、行動は必らずしもそうでなく、奔放であり積極的であり溌溂とし、初めて真の生命を感じ、自分の生活を生きることが出来る」
作家は筆一本で食えることが理想なのだ。だが現実の社会では若い人に限らず、作品が評価されて売れなければ文学だけで生活していくことは不可能だ。そこで勤め人に対する自己矛盾を愚痴る。
「貴重な時間をさいて勤めた疲れは、決して夜まで影響しなくてはない、然も労力は正常に評価されているのであろうか。で、賢い現代人は巧妙に立ち廻る術を心得させられてくる。若い作家でこの苦しみとこの術を会得している人は少なくない。昔ながらの正義感や道徳観からいえば一種の欺瞞であるかも知れないが、といって非難することも出来ないであろう」
石光の周囲にも同類の知人が多くいるという。勤め人のことなど忘れ、しゃべったり飲んだりして夜遅くまで過ごす。朝帰りまでする、言うことはない。
また、締め切りが近づく、興が乗って徹夜で原稿を書きまくる時が、至上の悦びなのである。翌朝はけろりとして会社に出勤する日もある。勤めを口実に原稿を書かないということは考えられない。いやなら文筆業を捨てろという、宿業だ。 |