堀田昇一は時代遅れの人間、常軌を逸した人間とみられようが、人生を見つめる時間をもった作家であった。
堀田昇一(ほったしょういち)は、1903(明治36)年3月29日に熊本県に生まれ、本名は堀田昇。県立天草中学校卒業後、働きながらプロレタリア文学運動に参加する。作品に「自由ケ丘パルテノン」、「池袋モンパルナス」、『奴隷市場』(中外書房)などがある。戦後は新日本文学会に参加した。平成6年8月7日に死亡、享年91歳。
時代を見つめながら堀田昇一は、作品創作において大衆とかけ離れたところで「あるべき論」を提案していないかと警告する。
『人民文庫』第1巻第2号の「作家の立ち遅れ」でも前号で触れた。さらにその問題を深く掘り下げている。
「一朝一夕にそんなに立派な作品が生れるわけのものではないが、われわれがリアリズムを更らに発展させ押しすゝめるためには、勤労する多数者の今日の現実の生活を知るということ、その中から主題や描写を引き出すということ以外に如何なる方法もないのである。これがわれわれの創作方法に於ける基本的態度なのだ」と答える。
リアリズムに徹した作品を、と堀田は声の限り主張する。だが、『人民文庫』第2巻第7号で、木内進から当選評論・「自由ケ丘パルテノン」評で真っ当な批評を受けている。
「われわれが直面している切実な問題は、人間の再建即ち人間性の獲得に苦悩の中心が向けられている。この小説の作者もゴーゴリと共に、自分の顔が歪んでいるのに、鏡に文句を云って何になる!
と叫ぶ。己れ自らを問い返すことに作者の目的があるのであり、この作品の今日に於ける価値がある」
ゴーゴリの文句である「自分の顔が歪んでいるのに、鏡に文句を云って何になる!」と歪んでいるのは自分の顔ばかりではなく、何もかも歪んでいることを社会風刺したことを評価しているのだ。
堀田昇一は、風刺精神に富んだ表現力を兼ね備えた能力に長けた作家であった。 |