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『豚コレラ問題』を考える 《下》
誤った政策で事態が悪化
東京農業大学名誉教授 長澤 真史
農作物輸出戦略の実態
 豚コレラは発生してから1年も経過しているにも拘わらず、9月に入って埼玉県、山梨県など関東地域にも拡大し、収束の兆しは未だ見えていない。多くの養豚農家や関係者の間では、豚へのワクチン接種を求める声が日増しに高まっている。

 ワクチン接種に踏み切らない理由の一つとして、「豚コレラ清浄国」でなくなれば豚肉輸出ができないことがある。アベ政権では「農産物輸出戦略」を重視し、2019年1兆円を目標として掲げている。2018年は9068億円であり、国会答弁でも「農産物輸出は目標まであと少し」だということが言われていた。

 しかし、実際の農産物輸出の実態はどうであろうか。農水省作成資料で2017年の8071億円を品目別にみれば、アルコール飲料、ホタテ、真珠、ソース調味料、清涼飲料水、さば、なまこ、牛肉、菓子、ぶり、牛乳・乳製品、緑茶、たばこ、丸太、りんごが上位15にランクされ、農産物が4968億円、林産物が355億円、水産物2750億円であり、農産物の53%(2636億円)はアルコール飲料、調味料、清涼飲料水、菓子等である。

 金額で上位15位に入るのは、牛肉、牛肉乳製品、緑茶、たばこ、りんごであり、それらは全体の金額に占める割合は1割にも達していない。しかも加工品の原料の多くは輸入依存である。豚肉は10億円程度に過ぎない。

 農産物輸出については、基本的には国内自給100%(ないしはそれに近い水準)、つまりは国民に安全な豚肉を過不足なく安定的に、そしてリーズナブルな価格で提供すること、そして安定的な国内の需給基盤を前提とすべきであろう。

 昨年12月30日にTPP11、今年の2月に日欧EPAがそれぞれ発効し、食肉の輸入はかつてなく急増している。豚肉では今年の1?5月で39・5万トン、4%の増加。国別ではカナダが4%、メキシコが13%それぞれ増加しており、豚肉自給率は5割を切り、さらに急落することも予想される。

 そのような状況下での輸出であり、国内の安定的な需給基盤は崩壊しつつあり、これ以上の輸出は「飢餓輸出」に等しい事態に陥るとも考えられる。

 『日本農業新聞』7月7日付は、農産物輸出~年内1兆円黄信号を報じている。伸びているのは牛肉ぐらいで果実、花き、水産物などは軒並み前年割れという。清浄国でなくなれば輸出ができないという理由が成り立つ事態ではないというべきであろう。アベ輸出戦略路線への「忖度」以外考えられない。

現場の当事者の声
 6月に入り、豚コレラが発生している地域やその隣接府県の9府県養豚協会会長に対して、『日本農業新聞』は緊急調査を行った。

 そこでは、例えば三重県養豚協会の小林政弘会長は「農水省には現場に耳を傾ける姿勢が見えない。東海の養豚農家を見殺しにしないでほしい。豚のワクチンを判断するしかない」としている。

 岐阜県の吉野毅会長、福井県の相馬秀夫会長、静岡県の中嶋克己会長なども「ワクチン接種しかない」という趣旨を表明している。まさに悲痛の叫びをあげているのである。

 8月2日、名古屋市で400名にのぼる養豚農家による「豚コレラ問題を考える会」での農水省の小倉弘明大臣官房審議官の発言が『中日新聞』に紹介されている。依然として、豚肉輸出ができなくなる非清浄国化をなんとしても避けたいということが壁になっているという。結局、苦闘する養豚農家の実情から乖離した政治判断が優先しているように思えてならない。

 しかし、当事者が大きく声を上げ、豚へのワクチン接種を求める声もいくつかの県の知事から出され、実現させていかなければならないであろう。

 関東まで拡大した豚コレラ対策として、これまで慎重な立場をとり続けていた政府は、9月19日になってようやく重い腰を上げつつある。20日には内閣改造で新たに農水産大臣となった江藤拓氏は、記者会見で次のようなことを明らかにした。

 まず、政府の現行の「特定家畜伝染病指針」では予防的ワクチンの接種を認めていないので、これを可能とする防疫方針の改定を行う(緊急ワクチン接種もあるが、この防疫指針では想定していないとのことである)。

 そして現在の備蓄ワクチンは150万個であり、生産可能な2社にワクチンの増産要請を行う。そして接種地域の特定、手法等は今後検討する、という。法的手続き、関係者や国民からの意見聴衆(パブリックコメント)、さらには関係者との合意形成等々が待ち受けて、実際の接種に至るには数カ月を要することになる。

 政府はワクチン接種という方針の「大転換」の姿勢を見せたが、依然として農産物輸出にブレーキをかける非清浄国化の懸念、ワクチン接種をした豚肉を食べても人体に影響はないとはいえ消費者の買い控えなど、予想される風評被害、官邸の意向等々もあり、あくまでも「ワクチン接種を可能にする環境を整える段階」だけに予断は許されない。

 何よりも1年という長きにわたって、生産者を筆舌に尽し難い苦悩に陥れた政府の対策の問題は、再び「悪夢」を繰り返さないために、明確な説明責任とともに厳しく追及され続けなければならないであろう。