12月14日、首相官邸前を師走の寒風が通り抜ける。ついに辺野古に土砂が投入される。ゲート前や海上の知人たち、20年余の闘いを支えてきた人たち、闘い半ばで斃(たお)れた人たち、次々に脳裏に去来する。一方で、沖縄の民意への連帯は全国で、世界で確実に広がっている。何より、今を生きることのできている人間の責任を考えたい。
翁長雄志前知事の急逝、県による「埋立承認撤回」、玉城デニー知事の誕生、国による撤回効力停止、そして土砂投入。この半年間に起きた、目まぐるしい動きである。そのなかで、確認すべき点をメモしておきたい。
撤回は民意の内容
第一に、埋立承認はなぜ「撤回」されたのか、それは沖縄の民意の内容でもある。主なものを列記する。
@大浦湾側の海底地盤に、マヨネーズ並みの超軟弱地盤の存在が明らかになったこと。
A大浦湾側の断層が活断層である疑いが強まったこと。
B辺野古新基地周辺の358件の建造物が、米国防総省の飛行場設置基準で示された高さ制限に抵触すること。
C普天間飛行場の滑走路2800bに対し、辺野古新基地は1800bと短いため、緊急時の民間空港使用(沖縄の場合は那覇空港を想定)が約束されなければ、普天間は返還しないことが明らかになったこと、等である。
また、玉城知事は政府との1カ月集中協議の中で、辺野古新基地の総工費と工期について「当初計画の10倍の2兆5000億円、今後13年を要する」との沖縄県の試算を明らかにしている。
これらが「沖縄に寄り添う」「普天間の危険性除去」「辺野古が唯一の解決策」と言われるものの正体である。いかに工事を強行しようとも、軟弱地盤も活断層も飛行場設置基準違反も決して消えてなくなることはない。
市民と行政の連携 第二に、「撤回」を可能にした市民と行政の連携についてである。
北上田毅さんら専門家による公文書公開請求とその分析を踏まえての政府交渉は、工事の実態を不断に暴露し、県による「撤回」を可能にした。また、相継ぐ違法・違反行為の事実は、ゲート前や海上での連日の抗議・監視行動なしには、明らかにしえなかったことである。
沖縄の運動の強さは、ゲート前や海上など現場の運動、それを支える各地の島ぐるみ会議等の活動、北上田さんら専門家による分析、これらに呼応する知事や行政、議会の活動、これらが一体のものとして機能しつつあることだと言える。
玉城知事は土砂投入の翌日には、ゲート前を訪れた。「ここに来ると勇気をもらえる」「勝つことは難しいが、諦めない」「うちなーぬぐすーよー、まじゅん、ちばてぃいかなやーさい(沖縄のみなさん、一緒に頑張っていきましょう)」と座り込む600人に呼びかけた。
辺野古闘争の20年は、民主主義の在りようを教えてくれている。沖縄への連帯とは、安倍政治を終わらせ、憲法と民主主義を政治と生活の場につくり出す努力でもある。
今後の辺野古工事の焦点となる埋立土砂をめぐる環境問題などについては、次回に触れたい。
|