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  4. 2020.03.17
福島原発事故 あれから10年目を迎えて
放射能被害はこれから 
汚染水は
 福島第一原発は事故から9年たったが、収束どころではない。

 汚染水はどんどん増えてあふれ出そうである。22年にはタンクの増設も限界に達して、いかんともしがたいから、どこかへ放出するしかないとする。更田豊志規制委員長などはさっさと海へ放水せよと号令をかける。残存するのはトリチウムだけではない。相当な放射性ストロンチウム等もある。濾(ろ)過されているとはいっても、汚染水の絶対量が多いだけにセシウムも無視できない。福島や茨城や近県の漁民だけでなく、アジア諸国民を愚弄するものである。
 
 考えてごらんなさい。近くの第二原発には広大な敷地がある。かねてから提案しているように、ここに配管輸送し、タンクを造ればまだ何十年分を貯蔵することもできる。セメント固化して保管することもできる。
 
 そもそも凍土壁などという糊塗策ではなく、当初から提案しているように、四方から遮水壁を造って格納容器の下に地下水が流入するのを止めていたら、汚染水の増加はとっくになくなっていた。予想された通り、凍土法で流入をなくすことはできなかった。そればかりか、最近は凍土壁の冷却液が漏れ出すありさまである。

プールの核燃料は
 一見簡単のように見える作業も難題続きで、なかなかはかどらない。
 
 排気塔(これは煙ではなく放射能を輩出するための高い巨大な煙突)を上部から切り出す作業ですら、高放射能の中での切断機のトラブル続きで遅れた。
 
 使用済み核燃料を貯蔵する1?3号機の各建屋内のプールから、1500体を超える燃料棒を取り出して、共用の貯蔵プールに移設する作業も、困難を極め、遅れに遅れている。事故時に放出された放射能が、建屋内にどっさりあって、崩れた機材と一緒にプールに覆いかぶさっているため、人が近づくのも決死的作業であり、遠隔作業のクレーンも頻繁に故障する。

炉心の溶解したデブリは
 格納容器の底に溶け落ちたデブリは、相変わらず取り出す計画を進めているが、はかどるはずもない。ごく一部はリモコン式の極小カメラなどで、見ることはできても、全体のメルトダウンした核燃料がどこで何と結合して、どう分散しているか、いまだにわからない。これらを小さく切断して取り出し、さらに原子炉や格納容器を解体撤去することは、どれほどの労働者被曝を増やすことになるだろう。しかもこれらをどこにどのように処分するというのだろう。
 
 これらの工事は建設時の費用を超えるような高額になり、再び日立や東芝や三菱等々を大いに喜ばすことにはなるが、民衆の大きな負担増となるだろう

避難指示が解除されても
 オリンピックを前に、原子力緊急事態宣言は解除されずに、避難指示の解除が進められているが、その多くの地域では放射線管理区域に指定されるべき基準を上回っている。空間線量率は年間20マイクロシーベルトまでよいとされている。
 
 国や県は帰還しない避難者への補償や手当は打ち切ることなどによって、無理やり帰還を促しているが、それに応ずる人は少ない。
 
 国公立医師会病院の統計によると、福島、茨城、栃木、東京では白血病が急増している。飛散した放射能の被害が様々な病気になって現れるのはこれからである。

資本家の標語
 「いつかは雷が落ちるに違いないとは知っていても、自分は黄金の雨を受け集めて、安全な場所へ運んでしまってから、雷は隣人の頭にあたるということが、誰しも望むところである。後は野となれ山となれ!これがすべての資本家と、すべての資本家国民との標語である。だから資本は、労働者の健康と寿命にたいしては、社会によってそれに対する考慮を強制されないかぎり、何ら顧慮するところがない。肉体的および精神的な萎縮、早すぎる死、過度労働の責苦等に関する苦情にたいして、資本はこう答える。この苦しみは、われわれの楽しみ(利潤)を増すものであるのに、それがわれわれをなんで苦しめるというのか?と。」
(『資本論』岩波文庫版②159頁)

 独占資本が支配する今日では、この標語はさらに苛烈となっている。