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 新社会党
2011年12月27日

  福島第一事故収束宣言
    廃炉・帰還抜きの暴走


 政府の原子力災害対策本部(本部長・野田首相)が12月16日、福島第一原発の「冷温停止状態」(ステップ2)を口実に事故の収束を宣言した。

 続いて、21日には来年から2052年までの原子炉の廃炉行程表を了承、さらに来年4月の放射線量年間20ミリシーベルトを基準とする非難区域の再編へ、3月から除染に本格着手し、汚染土壌・廃棄物の「中間貯蔵施設」の運用開始を2015年に予定して福島県双葉郡内に選定する作業を開始する。

 だが、避難を余儀なくされた地元住民・県民の実態とかけ離れた言葉だけの収束宣言に怒りと戸惑いが広がっている。


 
原発事故避難者  戻りたい 戻れない

 野田首相は今後の課題として除染、健康管理、賠償の3点を挙げた。しかし、収束宣言自体が現実性に乏しく、課題は手探り状態になる。専門家から原子炉内の「再臨界」の可能性が指摘され、ステップ2の安全性確認は希望的観測にすぎない。そもそも「冷温停止」の定義からして、収束に合わせて7月に捻り出されたいい加減なものだ。

 また、20ミリシーベルトという数字は、5月に文科省が小学校等の校庭利用基準値として適用しようとして、福島の父母から抗議を受けて引っ込めたあまりにも高い数値だ。なぜ政府はこのような詐欺まがいの政策に固執するのか。

 国際公約優先という見方もあるが、むしろ国内的事情による衝動と見るべきだろう。全国の原発の再稼働、原発輸出の推進、44カ国・地域が行っている日本食品の輸出制限の解除、観光客の呼び戻し、東電の収入構造の改革など、原子力=国策の堅持が背景にあることは明らかだ。

 川内村の遠藤幸雄村長は収束宣言について、「核燃料を原子炉内から取り出し、住民の帰還が終わった時に行うべき」と指摘した。これが避難者大多数の偽らざる気持ちではないか。

 事故前は福島第一原発から20キロ圏内の楢葉町に住んでいた上田明さん(55歳)は、その後転々として、今はいわき市の借り上げ民間アパートで避難生活を余儀なくされている。職場はJRの浪江駅であったが、現在は高萩駅兼務。「一遍に職を失った人たちに比べればましだ」と言われるが、子どものことや将来の生活など色々な心配事が重なり「どうしたらいいか分からなくなる」。

 借り上げアパートは2部屋と狭い。そこに母親と夫婦、小学2年生と5年生の息子、高校受験を控えた中学3年の娘の6人が暮らし、子どもはいわき市内の学校に通う。

 楢葉町の家は築10年でローンが残っている。一時帰宅すると周囲は草がぼうぼう、無住の家は日をおって朽ちていく。「悔しい、こんなことになるとは。戻れるようになり、皆が戻るなら戻りたい」。賠償問題も頭が痛い。請求書類はまだ出していない。東電にきちんと補償させるには、「避難者の声を吸い上げること」。仲間とも相談して、進めるつもりだ。





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