民自公3党の特例公債法や、衆院選挙制度改革法の成立、社会保障国民会議立ち上げを条件に、野田首相は突然解散を宣言、12月4日公示、16日投票の選挙戦に突入した。政権交代の3年間に国民の信頼を失墜した民主党は瓦解が始まり、政権奪還を射程に入れる安倍自民党は「日本を取り戻す」と気勢を上げ、第三極の大連合をめざす石原新党は橋下維新の会と無原則的に合流した。新社会党は6月に社民党と選挙協定を締結し、各地で社民党予定候補を推薦。この総選挙で護憲、脱原発、脱貧困・格差の候補を国会に送り、また東京でダブル選となる都知事選では宇都宮けんじさんの必勝を期そうと呼びかける党声明を出した。
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宇都宮けんじさん必勝へ 新社会党は支持
東京都知事選 宇都宮さんキックオフ
石原都政の暗雲を晴らしたいという都民の期待を担って立候補する宇都宮けんじさんとともに「人にやさしい東京」をつくるキックオフ集会が11月14日、都内で開かれ、市民ら1400人が「東京を変えよう」と思いを一つにした。宇都宮さんは「東京に民主主義を取り戻したい」「人にやさしくない都政を転換したい」と語った。応援に作家の雨宮処凛さんや落合恵子さんらが駆けつけた。11月29日告示、12月16日投開票。
宇都宮けんじさんの人柄
12月16日投開票の都知事選に出馬する宇都宮けんじさんの人柄について、司法修習所で同期の中山武敏弁護士は「ハートのやさしさと温かさを持ち、言葉と行動が一致して裏表がない」と紹介する。
日弁連会長としての宇都宮さんを事務総長として支えた海渡雄一弁護士は、「貧しいものに限りなく共感を寄せるやさしさ。次第に人を引き寄せていく包容力、大変な勉強家で実現力・突破力のある人」と評する。
宇都宮さんは愛媛県の田の浜という小さな漁村で生まれた。その歩みは宇都宮さんの『大丈夫、人生はやり返せる』(新日本出版)に詳しい。
父母は半農半漁で3人の子を育て、後に田の浜から大分県の国東半島に入植。愚痴ひとつこぼさず黙々と働く父の後ろ姿を見て育ったことが、宇都宮さんの貴重な財産となったという。
大学は東大法学部に進み、そこで生き方を決める2冊の本に出会う。『私はそれでも生きた―部落からの告発』と『小さな胸は燃えて要る―産炭地児童の生活記録』である。サラ金から貧困問題へ、その後の弁護士活動の原点はここにあった。
うつのみや・健児(66)【略歴】
1946年、愛媛県生まれ。東大法学部中退。在学中に司法試験合格。2010〜12年度、日弁連会長。全国ヤミ金融対策会議代表幹事、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長。
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