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 新社会党
2011年5月3日

  5月3日に思う
    被災者に憲法はないのか



 今年の5月3日は、特別な憲法記念日だ。東日本大地震と原発災害の未曾有の犠牲を直視し、残された者が何をなさねばならないか、憲法の理念に立ち返って考えるべきときだ。日本で生存権は保障されているのか。先ずそのことを問わなければならない。

 東日本大震災と原発災害は、貧困な憲法情況を白日のもとにさらした。政治が25条をないがしろにしてきたので、天災は人災として増幅された。加えて原発の災害はまさに政治災害として、人々に襲いかかっている。

 東日本大地震で犠牲となった3万人近い人のうち、かなりは救うことができたはずだ。生存率の高い70余時間、自らも被災しながら懸命に住民の救助と世話をしたのは、住民と地元の役場職員、教師、警察、消防などだった。それでも避難先では高齢者や病人が倒れていく。人手が決定的に足りないのだ。

 避難先すらなく、半壊の家に取り残され凍えた人も多い。この間、市町村合併で役場がなくされ職員が減らされてきた。分校、郵便局、JRの駅、林野や農林の出先など、地域の絆が労働者ごと消されてしまった。

 
効率第一で犠牲増

 効率第一で強行されてきた切捨て政策が、地域の安全・安心を崩していた。「生存権」を保障する条件がないがしろにされた社会になっていたのである。

 原発事故・災害は人類最悪の愚行の結果と言わねばならない。自民党や民主党、マスメディアなどは、「環境権」や「知る権利」が憲法にないから、憲法を変えようと詭弁を弄してきた。彼らの多くは原発推進派である。

 しかし政・財・官・メディア一体の原発推進体制よって、民衆の「知る権利」と原発反対の「言論の自由」が封殺されつつ、究極の「環境破壊」が引き起こされてしまった。原発こそ憲法理念に最も反する存在だ。

 だが、為政者は全く反省していない。原発災害は悪化しているにもかかわらず、能天気に打ち出される「復興構想」に要注意だ。

 22条「居住・移転の自由」に反し、住民の声を「建築制限」で無視しつつ策定される「都市計画」。被災地や中小零細企業を直撃する消費税増税。この際とばかりの道州制強行や、東北の産業合理化のためTPP参加など、25条はいっそう踏みにじられようとしている。

 
災害救助隊に改編

 それだけではない。自衛隊と米軍の一体的行動が賛美されている。だが空母に乗せた原発は危なくないのか。札束で張り倒して米軍基地を沖縄に押し付けた構図は、原発建設のそれと全く同じではないか。

 自衛隊が災害救助隊に改編され、その装備と訓練で活動していたら遥かに多くの人命が救われたはずだ。原発の瓦礫撤去に砲塔つきの戦車がなぜ必要なのか。迷彩服でなく、蛍光色の作業服の方が、隊員は遥かに安全に作業できるではないか。

 危険を「想定外」で片付けて原発を続けるというなら、原発へのミサイル攻撃を「想定」し、MD(ミサイル防衛)に税金を数兆円も投入するのはおかしくないか。

 憲法記念日に震災・原発災害に思いをはせ、9条と25条を生かす決意を新たにしよう。





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