死刑を制度として、あるいは事実上廃止している国は世界で140カ国(2015年末現在)、3分の2以上を占める。日本には制度としてある。日弁連は先月、福井市で開いた人権擁護大会で「死刑制度の廃止を目指す宣言」を打ち出した。
死刑制度に対する賛否は国内世論が分かれ、人権大会でも議論が紛糾し、出席した786人中、約1割が反対、約2割が棄権、賛成は7割を切ったという。
国民的な議論なく
会員3万7000人の日弁連の宣言がわずかな人権大会参加者の多数決で決められるのはいかがなものか、という議論もある。だが日弁連は11年の人権大会(高松市)で死刑制度について社会的な議論を呼びかける宣言を採択し、全国各地でシンポジウムなど開いてきた。死刑が執行された時には抗議の会長声明なども出されてきた。
日弁連は、今回の「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択する過程で議論を積み重ねてきたと言えるだろう。だが、国民的に深い議論が行われてきたとは言えない。
我々も、冤罪の可能性や、重い罪を犯した人でも国家がその命を奪うことはできないという基本的な立場から制度の廃止を訴えてきたが、刑罰制度全般について深い議論をしたことはない。今回の日弁連の「宣言」を読み、考え、議論することから始めたい。
OECD加盟国で
さて、死刑廃止は世界の趨勢であり、OECD(経済協力開発機構)加盟34カ国のうち死刑があるのは、日本、米国、韓国の3カ国だけだ。韓国は執行を18年以上も停止している事実上の「死刑廃止国」とされる。米国は50州のうち18州が廃止、存置州のうち3州で知事が執行停止を宣言し、15年は6州で執行されたという。つまり、今も国家として死刑を執行しているのは、OECD加盟国では日本だけである。
その背景には、根強い死刑制度支持の世論がある。内閣府が14年に行った「基本的法制度に関する世論調査」によれば、80・3%が「死刑もやむを得ない」と回答している。その主な理由は、@被害者や家族の気持ちが収まらないA凶悪犯罪は命をもって償うべきだB生かしておくと、また同じような罪を犯す危険がある、となっている。
「死刑は廃止すべきである」は9・7%という低さだ。その理由は、@裁判に誤りがあったとき、取り返しがつかないA生かして罪の償いをさせた方がよいB国家であっても人を殺すことは許されない、となっている。
だが、終身刑を導入した場合は、死刑存置が51・5%に減り、廃止は37・7%に増える。日弁連の宣言も死刑の代替制度として終身刑を提起する。そして宣言が、罪を犯した人の人間性の回復と、自由な社会への復帰・社会的包摂が可能な刑罰制度の在りようもうたっていることに注目したい。
|