神奈川県小田原市の生活保護担当部署の担当者が、「保護なめんな」「不正受給はクズだ」などと書いたジャンパーを着用し、生活保護家庭を訪問した問題があった。この問題はあらためて現行の保護制度に内在する矛盾を露呈させた。
無差別平等が原則 小田原市で起きた問題は、本紙2月7日付で社会福祉士の清水英宏氏が、「生活保護は最後の砦」であり、「今回の事例は、あまりにも憲法25条に反し、人権感覚に欠ける」とし、行政の権力的姿勢を強く批判している。
生活保護法2条では困窮した場合の保護を「無差別平等」に受けることができることになっているが、実際は「生活保護受給者」を「減らす」「増やさない」という国・行政当局の姿勢がある。
2014年12月、生活保護法が改「正」され、保護費削減や扶養義務の強化が行われた。「本当に働けないのか」「扶養すべき親族がいないかどうか」を行政が厳しくチェックし、「本当に必要な人だけにおカネを渡すよう」に求めたとされるが、「生活保護を受けている人は社会に甘えている」という根強い偏見が政府や自民党内にはある。
特に成人は「あなたは働けるでしょ」と門前払いされてしまう。いわゆる水際作戦が徹底され、本当に生活に困っている人が保護を受けられないなかで、餓死といった事件が起きるのである。
現場の担当者は、人権保障と行政当局の立場の狭間で苦悩する場合が多いというが、現在の生活保護制度には、担当者がどんなに頑張っても、善意に溢れた人であっても根本的な問題がある。
現行制度では就労から得られる所得は支給される生活保護費から減額される。また、生活保護を受けられるかどうか行政が要件を審査し、個々人の必要性を担当者が判断する選別(ターゲット)主義になっていることだ。そこに「不正」や担当者に対する「糾弾」を生じさせる原因のひとつがある。
恥辱感からの解放 そうした問題も含めて抜本的な貧困対策として、税財源から全国民に無条件に最低限の生活費を給付する基本所得保障=ベーシックインカム(BI)が考えられる。制限を設けずに全ての人を対象にするという、普遍主義の考え方である。
BIは、年金、雇用保険、公的扶助など現金給付に関わる制度を一本化し、全ての人に、定期的に一定額を給付するものであるから、給付にあたっての資力調査の必要がなく、就労要件も必要ない。就労で得た所得は働いた人自身のものになり、就労のインセンティブは現行制度と違って確実に上がるはずである。
生活保護の申請者を複雑な申請手続きの負担から解放し、行政の管理コストを不要とする。そして、何よりも申請者を「貧乏人」というスティグマ=恥辱感から解放する。普遍的社会保障制度への転換は現実の課題だ。
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