新社会党は4月22、23の両日、第22回大会を開く。社会には新自由主義の嵐が吹き荒れ、貧困と格差が果てしなく広がる。その責任は私たちの弱さにもある。勤労諸階層の不安と苦悩を受けとめ、新たな前進を図らなくてはならない。
社会の二極化と対立、私たちは歴史的岐路に立っている。人間を幸せにするはずの経済が、圧倒的多数の人々を生活や将来の不安に追い込む一方、ごく少数の富裕層は富をため込み社会的負担を忌避する。社会は二つに分断されている。
富裕層とその代理人の政治家は、これらの矛盾を隠すように敵を作って人々の目をそらさせる。それによってポピュリズムが蔓延し、「英雄」が待望され、民主主義や人権、平和的生存権が破壊されていく。その行く末がファシズムと悲惨な戦争であることは歴史が証明している。
安倍政権の策謀
「3・11」は、まさに天地がひっくり返る発端となった。いつ起こるかわからない巨大地震は悲惨で回復不可能な原発災害を招くことを明らかにし、常識に本源的疑念を持たせる機会となった。脱原発は世界的課題となり、エネルギー転換の流れを強めた。
しかし、権力を取り戻した安倍自公政権は生活と雇用の不安に応えるかのポーズをとり、その陰で憲法改定へと暴走している。その道筋では秘密保護法や戦争法、盗聴法など、憲法を無力化する悪法を強行し、米国との戦争同盟をより強固にするためオキナワを差し出すなど、権力の本質をむき出しにしている。フクシマを忘れさせて原発の復活を狙う。まさに独裁政権である。
憲法復権求めて
他方、圧倒的な力の差に追い込まれながらも私たちはぎりぎりのところで踏み止まり、自由と民主主義、ひいては立憲主義を守るために集まり、抗議の声を上げてきた。巨大なメディアがカネと権力に迎合するなか、自前のネットワークで運動を広めてきた。
その運動は原発被害者を救い、原発政策の廃止を求める不屈のうねりを生む力になっている。民主主義を破壊する数々の悪法に対して大衆運動を盛り上げて、国会の少数派を鼓舞し続けてきた。以前のように悪法成立とともに運動が終息するのではなく、逆に次の闘いに備えて新たな共同の輪を広げることになった。
オキナワの不屈の闘いは、「勝利はあきらめないこと」を実践し、反基地の思いを共同の統一候補による小選挙区での勝利に結実させた。
教訓は昨夏の参院選や新潟県知事選に引き継がれた。新社会党が追求してきた方向であり、20年の運動が日の目を見ようとしている。大会は、貧困と格差に対して中期政策の補強で生活保障に正面から取り組む課題をも背負う。これらの経験を踏まえ、新たな課題を展望して、党員一人ひとりがさらに一歩を踏み出すため、大会に向けて議論を深めよう。
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