敗戦から72回目の「8月15日」がやってきた。日本国憲法施行から今年で70周年になる。そして、日中戦争開始(盧溝橋事件)、南京事件から80年であり、日中共同宣言の45周年にも当る。歴史の原点に立ち、改めて平和構築を誓う。
盧溝橋・南京事件
1937年7月7日夜、北平(北京の旧称)の盧溝橋で訓練中の日本軍に発砲があった。日本の謀略説もあるが、日中戦争の発端となった盧溝橋事件である。
同年12月10日、南京を包囲した日本軍は中国軍が開城勧告に応じなかったと総攻撃を開始、日本軍の攻撃や暴力に巻き込まれ犠牲になった市民が多数いた。南京大虐殺事件だ。
「南京大虐殺はなかった」と言い張る人達もいるが、被害者が30万人かどうかは別にして、さまざまな証拠・証言からすれば、南京陥落後、十数万人が日本軍に虐殺されたことは否定できない。
日清戦争勃発から1945年8月15日までの約半世紀、日本の侵略によって中国人民はひどい被害を被った。日本人はこの歴史を直視しなければならない。
日中正常化の原点
1972年9月29日、日中共同声明は「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開く」とうたう。
この時、中国側は戦争賠償の請求を放棄した。これについて日本側の「無償援助」を引合いに出す人もいるが、日清戦争後の下関条約で、日本は中国から台湾、澎湖島を取り、さらに当時の国家予算の4倍に当る2億両の賠償金を取った。
だから、中国政府が賠償放棄を国民に納得させることは困難だった。日本の中国への「仕打ち」は、日本人が忘れても、中国の人々が忘れるはずはない。毛沢東主席は「賠償請求によって苦しむのは日本の民衆だ。過酷な賠償に苦しんできた中国民衆は、そのことをよく分っている。日本の民衆も、中国の民衆と同じ被害者だ」と説得した。
歴史を直視すべき
日中共同声明から45年、日中関係は厳しい状況にある。閣僚の靖国参拝や、石原慎太郎知事(当時)の「東京都が尖閣諸島を買い取る」発言、その後の尖閣列島の国有化などによって、中国では「愛国無罪」を叫ぶ日本企業襲撃事件が起きた。
一方では、ケ小平氏が1974年4月の国連特別総会で、「もし中国が変色し、超大国になり、世界で覇を唱え、至る所で他国を侮り、侵略し、搾取するようなことになれば―中略―それに反対し、中国人民と共にこれを打倒すべきである」と述べている。
日中の民衆は歴史の転換点に立ち、立ち止まって深く考え行動しなければならないのではないか。
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