人類最大の愚行から8月15日で75年になる。政府は未だに「終戦記念日」といい、「敗戦」とはいわない。権力は全く反省していない。それがコロナ禍でも命を軽視する今の政治に反映している。
「少女像」すら嫌悪
「退却」ではなく、「転戦」と言い、B29にバケツリレーで勝負しようとし、圧倒的な物量差を精神力で補おうとした国は、天皇制日本だけではなかろうか。
ヒトラー・ドイツすら無謀なソ連侵攻で多大な犠牲を払ったとは言え、他の戦線では「合理的」に撤収した。ユダヤ人殺戮は容赦なかったが、沖縄の民間人を事実上の盾にして自国民を15万人も犠牲にしたようなことは聞かない。
ヒトラーは自死したが、昭和天皇は「象徴」に。ドイツは分断国家という悲劇は強いられたものの、ナチスの戦争犯罪は地の果てまで追う。日本は朝鮮半島の分断と朝鮮戦争を餌食に「戦後成長」の元手を得、今も朝鮮半島を敵視し戦争犯罪を謝罪しない。
「ハーケン・クロイツ」の掲示は違法だが、日本では「日の丸」掲揚に反対する教員は処分される。ドイツの首相はアウシュビッツでひざまずいたが、日本の首相は「少女像」すら嫌悪する。果たして75年間、日本は反省し進歩したのだろうか。安倍晋三首相は、憲法を変え先祖返りしたがっている。
転換を求める機運
しかし、民主主義に蓋はできない。様々な形態で民主主義は活路を開こうとする。そうでなければ日本社会は崩壊する。新型コロナ禍は安倍政治の理不尽さを暴き出した。
かけがえのない命を守ろうとする人々の意志は、「自己責任」を押し付けられる中で、税金を大企業援助や五輪、軍備に使い、「命と経済」を天秤にかける権力への沸々たる疑念・怒りに向かっている。新自由主義政策のラディカルな転換を求める機運だ。
とは言え、政治的な反抗にはまだなっていない。右翼ポピュリズムがこの不満を好餌にしている。末期症状の安倍政権は、苦し紛れに南北朝鮮への排外主義を煽り、中国を挑発し、「敵地攻撃論」を振り回している。
しかし、パンデミックが突き付けたグローバル化のリアルさは、日本の権力者の妄想が世界には通用しないことを思い知らせるだろう。欧州では、リーマン・ショック時の金融資本救済への反発を踏まえたコロナ対策が、米国ではトランプ打倒の運動が広がっている。日本でも、勇気を持って声をあげていこう。