今年秋結審、翌2018年春に判決をめざす
東京電力に対し、故郷喪失で心身ともに受けた損害の賠償を求める裁判の20回目の口頭弁論が、昨年12月21日に福島地裁いわき支部で開かれた。原告は裁判のスピードアップを求め、前回から二つの法廷で終日毎回10人前後の原告の尋問を実施。また、裁判官の現場検証の要求も受け入れられ、3回の視察が行われた。
今回は大勢の傍聴者が参加し10名の避難者が訴えた。原発事故がいかに家族も自然も地域の絆も破壊していくか切々と証言したが、とりわけ避難者への差別、いじめが深刻化していることが目立った。
今年6月に原告最終弁論、9〜10月には結審の予定で、来春(18年)の判決をめざす。現在進行中の第1陣586名に加え、新たに訴訟を起こす第2陣も多数で、その裁判も並行して開始される。
故郷を全て失う Kさん(南相馬小高区)
生徒も大変な思いをしている。自宅取り壊しの喪失感、勤務先の南相馬の小学校再開にも十分な除染がされたとは思えない。教師や父兄有志が一部の除染作業をした。児童の数は、低学年ほど少なかった。6年生でも半分くらいだった。屋外授業は一切ない。登下校時は必ず長袖、長ズボン、マスク、帽子着用。それが4月から10月まで続いた。妻も教員で、担任の子が避難先の学校になじめないので、電話で「無理しないでもいいからね」「みんな辛いんだから」と元気づけていた。
相馬に越してきたが、新車を買うことをためらっている。「避難者のくせに車を買った」と近所から言われるのに気を使うからだ。裁判への参加は職場では話していない。「まだ金が欲しいのか」などつまらない誤解を生ずる惧れがあるから。懐かしい家は去年秋に取り壊された。「さようなら」と畳に家族で寄せ書きしたのを見て、自分の中にある故郷を全て失い、心の中に穴があいたような感じだ。元の小高を、未来を返してほしい。
話せる友人できない Kさん(双葉)
この苦しみは、命を断てば認めてくれるのか。
事故前からすると一番変わったのは仲良かった家族が喧嘩をするようになったこと。主人は怒りっぽくなり帰宅するのが怖い。3カ月くらい出勤せず真っ暗な部屋で黙り込んでいた。「あと生きても5年だな」「俺も辛いんだよ」と言う。子どもにも傷つけるようなことを言うので、同居もできなくなった。家族思いなだけに自分が家族を傷つけてることで悩んでる。避難中の友達から、「助けて」「死にたい」とショートメールが入る。 避難先の仕事で避難者いじめにあい、何回もリストカットしてる。話を聞いてあげないと、この人死んじゃうなと思っていつも聞いてあげる。 高校3年だった娘は希望の仕事に内定したのに、事故で採用取り消しされ、外に出なくなった。自分も避難先で双葉出身と言えない。「避難者は働かなくていい」と言われるが、隠し事しているから避難先でも心から話せる友人ができなくて辛い。どうかこの現状を分かってほしい。命を断てば認めてもらえるのですか。故郷に帰りたいです!
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