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2017.01.31
発達障害の孫と行動治療士(下) 
やっと登校をはじめる

  

 

 簡単な約束守らせる 本人も家族もまた救われた

 大声でどなる


 その人とは、福岡市内に住む行動治療士のNさんだった。我が家にとって費用は高額であったが、母親は決断した。
 昨年の11月3日午後1時30分にNさんが来宅した。孫娘(以後、Kと呼ぶ)には、「来客がある」とだけ伝えたが、何かを察して自分の部屋に入ったきりになった。
 母親が促して、玄関の所でNさんに会わせた。Kはすぐに自分の部屋に逃げようとした。しかし、Nさんの屈強な腕がKを掴まえ離さなかった。その瞬間、Kは大声で怒鳴った。「なんで、こんなん連れてきた」
 その日、兄は部活で不在だった。妹と弟は在宅していた。Kは泣きわめき、NさんとKの言葉のやりとりが激しくなってきたので、その場は母親に任せ、私は幼い2人の孫を別室に連れて行き遊ばせていた。
 しかし、Kの泣き叫ぶ声に5歳の弟は、「お姉ちゃんをいじめちゃダメ」と数回Nさんに向かっていこうとした。切れ切れに聞こえてきたNさんの言葉の一つに、「あなたを助けに来たんだよ」かあった。
 プロフェッショナルのNさんは、あるときは強く、あるときはやさしくKの魂に直に届く言霊(ことだま)を発していたようだ。やがてKも、年長者のNさんへの非礼を詫びたようだ。その日、Kが最初にしたことが1カ月ぶりの入浴だった。
 Kが入浴をしぶるため、母親も浴室に入った。その日の午後、浴室でKは泣きながら、便失禁が再発してしまっていることを母親に告げた。どうして母親も私もそのことを見抜けなかったのだろうか? 以前は排便の有無と排便回数をトイレのカレンダーに記し付けをしていた。
 しかし、7月14日から服薬を止めただけでなく、排便についても何一つ報告しなくなっていた。洗濯に出されるパンツも汚れていなかったが、それは生理ナプキンを便失禁のオムツのように利用して母親や私の目を逃れていたようだ。
 せっかく週3回以上の普通排便まで回復していたのに、4カ月近く便秘薬を飲まなかったことで遺糞症が再発したようだ。
 入浴後、NさんとKと母親とで簡単な約束をした。それは毎日実行する5項目だった。@6時半起床、A服薬する、B入浴する、C少しでも勉強する、D家の手伝いをする、というものだった。
 この5項目を守れたかどうかを毎晩就寝前にNさんに報告することも約束となった。また、大学病院への通院再開も約束した。

 「生きづらさ」

 Nさんが帰られて、夜の入浴時間になったとき、Kは今までのように入浴拒否をした。私は暢気に、「昼間1回入ったんだから、いいんじゃない」と言ってしまった。しかし、母親は今晩からの約束だからとKを促した。ところが、Kは家を飛び出した。夜の10時近かったし、探しても見つからないので母親はNさんに報告のため電話した。
 私は就寝していた。Nさんはその電話を受けて、福岡の自宅から久留米市のはずれの町まで車で駆けつけてくれた。Kは祖父の家に逃げていた。Nさんと母親が祖父を説得し、Kを帰宅させ、夜中過ぎに入浴を済ませたのを見届けてNさんは帰宅した。
 翌日からKは毎日、定時に起き服薬し、家の手伝い、入浴、自宅学習を再開した。以上の約束は今も守られている。
 数日後、Nさんと我が家族、そして中学校の管理職と面談し、学校の空き室の一部をKの一人用教室に改造させてもらいました。他の生徒に会わないですむ時間割をNさんが作ってくれた。
 フルタイムではないがキーパーソンの教師を決めて、11月21日から登校を再開し、現在にいたっている。Kは登校を嫌がったりしたことも数回あったが、家族の努力とNさんのアドバイスを受けながら乗り越えつつある。
 「自閉症スペクトラム」の告知も12月にされた。便秘治療の予約もとれた。KのためのライングループをNさんと家族で作り、緊密かつ気軽に相談や連絡を取り合っている。
 病院、学校、教育委員会、児童相談所、フリースクールなどに世話になったが、身体を張った行動療法士のNさんによって、Kは生きづらさと、退行という地獄から救い出してもらった。家族もまた救われた。
 各自治体は、力量のある行動治療士を高待遇で雇い、発達障害者の「生きづらさ」の解消に力を入れてほしいと願っている。 
  (岩ア美枝子)
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