好きな曲を弾きたい
私も一緒に……
VエリーゼのためにVを弾いた男の子のことは、娘にとっても印象深かったようだ。自分も好きな曲を弾かせてもらえるよう先生に頼んでほしいと言う。
先生は、「ピアノを好きな気持ちが続くことが大事。音楽には興味を持ったのに、練習が辛くてピアノから離れてしまう子が多くて残念だ。だからやりたい曲をさせてあげよう」と言ってくれた。伝統的な形式よりも、子どもの気持ちを尊重し、柔軟に対応しようとしてくれた先生に感謝だ。 先生がリクエストした楽譜を探してくれた。娘がずっと憧れていた「アリエッティソング」(映画『借り暮らしのアリエッティ』)と「世界にひとつだけの花」(SMAP)。娘は楽譜を手に感動していた。好きな曲を弾けることは娘にとってすごく嬉しいことだったようで、暇があれば練習するようになった。
先生は、私に「ママもやってみない?」と勧めた。子育てで忙しいママたちにも楽しんでもらうために、ママのレッスンもおまけでしているのだそうだ。だが、私は素直に喜べなかった。私はピアノにコンプレックスを持っていたのだ。
小さな頃からピアノを習っていたのにもかかわらず、私は最後までピアノを好きになれなかった。「やりたい」と親に頼みこんだという記憶もない。
当時の習い事の王道として当たり前のように受け入れていたのだろう。ピアノを好きか嫌いかもわからないまま通っていた。だからあまり上達しなかったように思う。ずっと月謝を払い、送迎してくれていた親には申し訳ない。伝統的な練習曲、厳しい先生、静寂に包まれたコンサート。とにかく間違えずに弾くことで頭がいっぱいで、「楽しい」と感じる余裕は当時の私にはなかった。
たまに好きになる曲もあったが、10年ほど習った後、引っ越しを機にやめた。やめてからは、ピアノに触れることもなくなった。弾きたいとも思えなかった。スキになれなかったことや、上達しなかったことが「自分にはうまく弾けない。向いていない」という暗い思い込みをつくりあげていた。
好きな曲を弾く
そんな私が、今またピアノを弾くことができるだろうか。練習曲を弾くのは気が進まない……。でも私はずっと流行りの曲を弾いてみたいと思っていたことを思い出した。
当時の私は、楽譜を手に入れる術を知らなかったが、弾いてみたい曲はいっぱいあった。今は簡単に楽譜をダウンロードできる。弾いてみたい曲の楽譜をダウンロードしてみる。楽譜を手にするとワクワクした。楽譜を見て鍵盤を押さえていく。大好きな歌の旋律になっていくのが嬉しくて楽しくて、指が痛くなるまで弾き続けた。
上手に弾こうとしなくてもいい。完璧に弾けなくても誰も何も言わない。自己満足のためだけに弾く。そんなピアノの時間は自由で豊かで、私はピアノが好きになっていった。どんどん楽譜は増えていった。新しく楽譜を手にするたびに胸が躍った。
気がつくと、「私は上手じゃない」というコンプレックスは消えていた。手が滑らかに動くようになるにつれ、昔ピアノを習っていてよかったと思えた。
楽しめばいいか
今の私は自分の練習に夢中で、娘に「練習しなさい」とうるさく言わない。それがよいのか、娘は弾きたいときに楽しそうに弾いている。私が弾いている横で歌ったり、連弾したりもする。弾きたいタイミングが重なってピアノの取り合いをするときもある。
そしてなんと、最近は私の母(60歳)までもが自分の楽しみのためにピアノを弾き始めたのだ。伝染したのか。これで「練習しなさい」と娘にうるさく言う大人がまたひとり減った。
子育てが思い通りにいかなくてモヤモヤするとき、私はピアノを弾く。すると気持ちが落ち着いてゆく。「好き」というパワーはすごい。無敵だ。その気持ちがあれば辛い練習も乗り越えることができるほど最強だ。 子どもたちにはたくさん「好き」な対象を見つけてほしいと思う。多ければ多いほどきっと幸せになれる。誰より上手いとか、どれだけ上達したかなんて、どうでもいいことなのだ。
自分がそれを「好き」で、楽しむだけでよい。子どもたちが「好き」がいっぱいの人生を歩めますように。私自身もまだまだ「好き」なことをいっぱいできますように。(愛内マミ)
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