コミュニティスペ―スが基盤に
2月上旬、「こども食堂」の名付け親の近藤博子さんを訪ね、東京都大田区議会議員の奈須りえさんに、こども食堂の現状と課題についてインタビューをしてもらいました。近藤さんは、「気まぐれ八百屋だんだん」という店の看板を掲げ、こども食堂だけでなく、八百屋、寺子屋、手話教室、英会話などを運営しています。その内容を紹介します。
(文責=清水英宏)
子ども食堂のきっかけ
奈須 近藤さんはこども食堂を、なんで思いつき、始めたのですか。 近藤 私は歯科衛生士だったのですが、たまたまのつながりで野菜の配達とか販売を始めました。その場所として借りたのがここで、元居酒屋で、いろいろな地域の人が集まり、話し合いをしたり、弁当を食べたりのコミニティスペースになり、みんなで使うという場になりました。最初は、健康と歯と食をつなぐ思いでした。
奈須 何年くらい前に「だんだん」を始めたのですか。
近藤 丸9年目に入りました。買い物に来るおばちゃんが一人暮らしだったり、家族のことを話す人がいたりで、人の集まりがポツポツと出てきました。
一番最初に始めたのが八百屋で、自分の娘が高校の勉強につまずいたので寺子屋をやり、場所をシェアするようになりました。
奈須 一方で資金はと、みんな思っていました。
近藤 必要に迫られて少しずつ場所に手を入れて、今はバリアフリーになっています。畳になれていない人や、車イスの人とかのために、変えました。日本人ってお金で解決しようとするけれど、振り返ってみると良い方につながり、広がってきました。
食のことは地域で考える
奈須 このスペースが元祖こども食堂と、取り上げられています。今は、こども食堂が全国に300とか400とかいわれています。こども食堂という言葉が独り歩きしているような感じがしますが、その意味ではネーミングがすばらしいと思いますが、どういうきっかけですか。
近藤 2010年のとき、小学校の副校長先生から入学してきた子どものなかに、お母さんが精神疾患で、食事や家事ができなく、結局学校の給食以外の夕飯や朝食はバナナ一本で過ごしている、お金をもらってお弁当を買いに行っても、お菓子を買って、バナナ一本で済ませる、そんな話を聞きました。この時代のこの日本に、そういう子がいるのはショックでした。
先生が迎えに行って、朝はおにぎりを保健室で食べさせ、昼は給食を食べさせていると聞きました。
そこで、食のことはせめて地域で何とかすれば何とかなるのではないかと思ったのです。
ここには場所も厨房もあるから、みんなでご飯を食べられるようにしようと提案すると先生が「それはよい」というので、じゃ作ろうかとスタートしたんです。しかし、なかなかスタートできず1年以上経ってしまいました。その間に、その子は児童施設に入ったのです。
たまたま、児童養護施設の人と話をすると、受け入れ先が圧倒的に足りない、へたに動いても受け入れ先がない。このことを問題にしないといけないのに、報道の中で、児童相談所につなぐ人がいない、受皿の問題があることが知らされていない。そういうところも、こども食堂の背景にあります。
何とか早く始めなければ、とにかくご飯を作って、カレーを作って子どもに食べに来てもらえば良い。仲間には仕事が終わって手伝いに来てくれればと、12年8月、夏休みにやることにしました。夏休みだと子どもたちにも声を掛けやすいし集まりやすいと思いました。
病気、お金に関係なく、親が病気なら近所で助け合おうと、みんなで温かいご飯と具沢山の味噌汁があれば、血となり肉となって明日学校に行こうとなるだろうと。ただそれだけで始めたのです。
奈須 話題を呼んだネーミングは。
近藤 始める時に、考えました。ファミリーレストランは家族で行かないと受け入れてくれないだろう、子どもだけでも入って大丈夫なものがあったらと、一番最初に「こども」にしよう。何をするところ、食べるところ、割烹着のおばちゃんが作り、白い暖簾がかかっている食堂みたいなイメージかなと思い、こども食堂を前面に出そうと決めました。でも大人も入っていいよとの思いを込めてつけたのです。
地域の居場所づくり
奈須 近くの子どもが来ると、あそこは貧乏な子が行く所だなどの話はあるのですか。
近藤 近所のサマー教室(小学生)で、子どもだけの料理教室をやってほしいとの要望があったので料理教室を始めました。こども食堂やワンコイン寺子屋だけではなくて、逆に良かった。子どもにも口コミで広がり、必ずしも貧しい子どもだけでなく来てくれた。
はじめはひとりの子どもが多かったけど、友達どうしが誘い合って楽しみに来るようになりました。夜には外の空いている駐車場で遊んだりしています。 親もこども食堂なら良いと、小学生から中学生まで、大きい子も両親が働いている子もいました。
バナナしか食べられない子だけでなく、いろいろな子が来るようになりました。
奈須 どんな気持ちで続けたのですか。
近藤 来る理由は聞きません。どんなおばちゃんが待っているのかとか、子どもどうしだと来やすいでしょ。
こども食堂ではなく、ワンコイン寺子屋や、みちくさ寺子屋をやっていた時もひとりでは来れないからと、みんなで誘い合って勉強するとやりやすかった経験があったのです。
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