子ども食堂主宰 近藤博子さん × 大田区議会議員 奈須りえさん
近所同士の付き合いが要
どうやって広げるか
奈須 こども食堂をやるにあたって、どうしたらこども食堂をやっていることを伝えて、食べてもらえますかと聞かれます。
近藤 チラシを配布した人もいたし、学校に配れるチヤンスをお願いしたりしたが、子どもが行きたいと言っても行かせない、今、貧乏だけどそんな所に行って欲しくないという親もいる。
貧しい人というより、すべての子どもたちにしたほうが来やすいと思う。たしかに貧しい子どもたちにも、こども食堂の意味や食事を食べてもらう意味はあるけど、そうでなく親が同行しないで子どもたちが来ると他の子どもとおしゃべりできるし、よそのおばちゃんやおじちゃんに教えてもらったりできる。それがいいのです。
一人100円で食べられるのだからすごく楽しい。料金は大人500円、子ども100円ですが、最初は原価計算したわけではないが、食材を考えて、とりあえず300円、500円にしましょうとなりました。
ここ2年くらいは、お米やお金の寄付が集まるようになり、それを子どもたちに還元しようと、100円になりました。でも外向きは100円だけど毎週来ると小遣いから出すと大変だし、持ってこない子もいる。高校生で70円しかない子もいるがよしとしている。リピーターで定期的にくる子はほとんど決まっていて、子どもだけで来る。小さい子を抱えた育児中のお母さんたちも保育園帰りに来たりする。この間、区報にも載って、一人家庭で、いつも木曜日にお母さんがいないので、これからは道が分かり、一人で来させますという人もいる。
私、こども食堂を学校と連携してやりたいので、学校にも行くんです。PTAの方々や校長先生のいる所へ行かせてもらいますが、この近辺は飲食店が夜開いているから子ども一人や兄弟だけで食べている家庭も多かったりします。
こども食堂が貧困という切り口だけではなく、お金のない子のためのご飯をあげるところだけではなく、補助金もらって、はいどうぞ、だけではないものを目指しているのです。
ご近所同士の付き合いができるほうが良いし、こども食堂はきっかけ作りだし、こういうところがあったら良いねと、高齢者の問題にもつながる。今の時代にあったご近所同士のおつきあいのひとつのきっかけづくりとして、それがこども食堂と言うことかなと思います。
次代を担う子どもに投資を
奈須 行政についてはどうですか。
近藤 この状況の中で、国とか区が色々、単なるご飯をあげるだけのこども食堂に、補助金を出すだけで、今の社会問題を解決できるのでしょうか。 金銭的な問題だけの子どもの貧困はありえません。愛情不足とかが大きなウェイトを占めています。その子どもたちの背景にある親の問題だったり、社会の問題だったり、子どもの貧困は社会全体の責任だと思います。
奈須 子どもの貧困は少なくとも、親の貧困であり雇用の問題であったりします。こども食堂に税金を投入するより、子どもの教育にしっかり国のお金を投入していけば、たとえ収入が少なくてもある程度は生活できると思う。ビジネスではない本当の教育になるように、先行投資して、日本を支える子どもたちに投資するようにして欲しい。
近藤 労働の話で、賃金の安定した仕事を誰が得られ、職に就けるのか、現実にはそれも難しいし、親も不安定だから子どもが貧困になっています。
今の状況に対して、何とかしたい、対処療法として市民ができるという意味では、こども食堂はとてもよいし、価値のあることで重要なことだと思います。しかし、市民のボランティア的なことを、国や都道府県や市町村がやっても仕方がないと思います。
民には民ができることがあり、国には国のできることがあります。そこはしっかり区別して、考えないといけないと思います。ここまではできるけど、これ以上はできないので税金で何とかするということになると思います。
国がかりは逆に不自由に
奈須 取材や社会の注目は、どうですか。
近藤 貧困の問題はここ2〜3年ですね。
こども食堂はなくてよいのです。隣同士でやればよいのです。おじちゃん、おばちゃんもできるようにしないと広がりはないですよ。
私は、国がすでにこども食堂にお金を出すと決めたとき、日本財団と博報堂が一緒に調査にきたが、NPOと書いてあっただけで腹が立ちました。高齢者で元気な人を活躍させようとしたら、1人でも2人でもやっている人を支援しないと広がりません。今までと同じことは止めてほしい。何の調査と聞くと、こども食堂の実態調査で、どのようなものかという調査でした。
私はそういうところからもらえる団体でもないし、もらおうとも思っていない。一億総活躍というなら、ばあちゃん70歳で頑張ってますねと応援すればよい。今までと同じことをやろうとするから、怒ります。
結果的に、行政から援助をもらった団体は行政と繋がったこども食堂だったようです。結局は今の社会にあったものにしていくことです。
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