昨年末の12月27日、安倍晋三首相が真珠湾を訪れ、オバマ大統領とともに犠牲者を慰霊した。「真珠湾75年式典」で安倍首相は、日米同盟は「希望の同盟」であり、真珠湾は「寛容と和解の象徴」だと述べた。
☆ 「1941年当時のルーズベルト政権は、日本によるハワイの米海軍基地への奇襲攻撃をまったく予知せず、対日戦争に参入した」という説明は覆されている。事実は、対日戦は前から検討されていた。在米日本資産の凍結・石油禁輸などの経済制裁を英蘭とともに課し、真珠湾攻撃の日本軍の暗号を解読すると米国内の反戦世論と議会の不干渉主義を封じ、太平洋と欧州の二つの戦線に参入した。米国は19世紀から米西戦争を通じてフィリピンに進出、ハワイから極東までの地域に経済的・政治的覇権を打ちたてようとしていた。大東亜共栄圏を目論む日本はライバル産業国であった。
☆ 41年6月、独は対ソ戦を開始したが、同年12月5日の赤軍の反撃で窮地に陥り、ナチス・ドイツは同月11日、対米宣戦布告した。米産業界はすでに欧州の戦争で機材・燃料の供給で巨大な利益を上げており、当時のフォード社は「連合軍・枢軸軍のいずれも勝利しないでほしい、両方が潰れるまで双方に機材を供給すべきだ」という立場であったし、ルーズベルト政権は対英「レンド・リース」により信用取引で米産業界を潤し、戦争は長引いたほうがよいと見なしていた。 「1%の少数」にとって戦争は天国であったが、諸国民にとっては地獄であった。
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