2011年11月1日

    新潟・三条
    仕事や学校は?  避難者の相談にのる


 新潟県三条市の近辺には、福島第一原発事故による避難者が大勢いる。新社会党三条総支部は、脱原発1000万人署名に取り組み、そのなかで避難者への働きかけに努めている。

 9月のある日、避難所になっている福祉センター近くのスーパー前で署名活動をした。いわきナンバーの車から子ども連れの30代の夫婦が降りてきて、妻が署名してくれた。

 そして、夫が「東電の仕事をしていた。俺たちも、東電も悪くない。悪いのは政府だ」と話しかけてきた。そこでは1時間に109筆が寄せられた。

 9月になって避難所は解散した。避難者は公営住宅などに移り、バラバラになった。地元新聞が雇用促進住宅に移ったと報じていた。

 雇用促進住宅は旧三条の山手の不便なところ1カ所だけなので、9月初めに平和センター主催の「10・7広瀬隆講演会」のチラシを投げ込みした。

 そのあとで、雇用促進住宅まで2人で署名のお願いに行った。住人は全員が避難者だった。私は14戸を回り18筆もらった。

 会った人の全員がこころよく署名してくれた。南相馬市の人がほとんどで浪江町の人もいた。3人の子持ちの若夫婦は、「爆発の音と白煙を見て逃げ出した」、「ここには風呂がない。町に買い物にいくのが遠くて不便だ」と話した。

 一番近いスーパーでも歩いて20分、街中には車で20分かかる。Aさん(30代の女性)の家は原発から8キロのところだが、「いつになったら一時帰宅できるのか」と訴えていた。

 前もって配布した広瀬隆講演会のチラシを「聞きたかったが行けなかった」と言って見せてくれた人もいた。
 
 これからまた雇用促進住宅にいき、仕事はどうするのか、雇用保険が切れたらどうするのか、子どもの学校はどうか、高齢者は苦しんでいないかなど、相談にのれるようにしていきたい。(新潟・相田邦夫)


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