ピースボートなどが呼びかけた脱原発世界会議は1月14・15日の2日間、横浜・みなとみらいで開かれ、延べ1万1500人が参加して、脱原発への国際的運動のうねりをつくった。
2日目の「地域発・原発に頼らない社会のつくりかた」と題して開かれた首長会議では脱原発首長連絡会結成への足ががりもつくられた。首長会議は山本コータロー白鴎大学教授の司会で、福島県双葉町長の井戸川克隆さん、同南相馬市長の桜井勝延さん、静岡県湖西市長の三上元さん、同牧ノ原市長の西原茂樹さん、千葉県長生村長の石井俊雄さん、東京都世田谷区長の保坂展人さん、元新潟県巻町長笹口孝明さん、元東京都国立市長の上原公子さんが出席した。
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2日目の首長会議で脱原発首長連絡会結成への足がかりがつくられた |
【事故の渦中からの報告】
大熊町に隣接する福島第一原発5・6号基のある双葉町の井戸川克隆町長
私は町長就任以来、東京電力に安全性を確認していたが、「事故は絶対ありません。安心してください」と言われ続けてきた。しかし、原発を造った人たちがどんどん退職して、ペーパーライセンスで運用していることが心配だった。そのため避難する準備もないまま3月12日朝、政府から避難指示が出ていつ帰れるから分からない長い旅についている。事故に対して、政府は被爆問題をなおざりにする加害者だ。1ミリシーベルトという決まりがありながら未だにそれ以上の地域を放置している。
南相馬市・桜井勝信市長
今なお2万3000人の市民が自宅を追われている。除染を進めなければならないのは誰のためなのか、政府、東京電力は本当にする気があるのか、と思う。比較的染度が低かったので、警戒区域以外は自ら除染を進め、1ミリシーベルト以下にした。自分たちが自分たちの所で誇りを持って再生に取り組んでいるところだ。現在の最大の国家的事業は岩手県から茨城県までの震災と原発事故を収束させることだ。
【声を上げる自治体首長】
静岡県牧之原市・西原茂樹市長
地域も雇用とか経済、税制とか恩恵を受けてきたが、あの状態を見れば誰が見ても原発を止めたいと思う。企業もリスク分散しなければならないと言っている。毎年やっている市民意識調査では6割が「止めてほしい」だった。そのデータで市議会は9月26日に安全が担保できなければ永久停止という決議をした。私はその場で、安全は担保されないから永久停止だと言った。国に頼っていたら農業だって財政だって年金や医療だってみんな崩壊する。私たちは命と財産に関わることは自治基本条例に基づいて意見を上げていく。
静岡県湖西市・三上元市長
私は浜岡の廃炉を求める訴訟の原告団に参加している。私は地震津波のくる前に、原発はテロの対象になることを考えておかないといけない。95年の神戸の大地震、その2年前に奥尻島の津波があった。それを原子力発電所の技術者は現地に行って研究している。技術大国日本の技術が信頼おけないことが明らかになった。世論が二分しているならば、政治家がリスクを冒しても主張すべきだと思い、脱原発を続けると4月1日に宣言した。
【自然エネルギーを推進】
未来へつなぐ健康で平和な村というキャッチコピーを持つ千葉県長生村・石井俊雄村長
野田総理大臣がTPPに加わるだとか、消費税を10%に引き上げるとか、原発を再稼働するとか、輸出するという動きに対して、今こそチェルノブイリやスリーマイル島の歴史に学んで、脱原発・自然エネルギーへの転換を全世界に向けて発信するべきだ。長生村には大震災で20名程度が避難されてきて、今はほとんどが帰られたが、今一人、将来に不安があるので南相馬市には帰れないという若者を、社会福祉協議会で働いてもらっている。
長生村では9月の補正予算で村単独で上乗せで太陽光の補助金を決めた。私は8月から脱原発1000万署名をやっているが反応はいいです。これからも村長としてできること、一村民としてできることを皆さんと力を合わせて脱原発の世界に向けて頑張りたい。
学校食材で早々に産地表示を始めた世田谷区・保坂展人区長
子どもたちの未来に不安をつくったことに運動の非力さを心苦しく思っている。自治体がその気になれば、スピーディーに支援活動ができる。世田谷区は空き地はないが、屋根はたくさんあるので一つは太陽光パネル、太陽熱給湯などを地域協議会とともに普及させたい。もう一つは再生可能エネルギーなら少しぐらい高くても負担しようと思っている。自治体同士がつながれば強い、ぜひ進めていきたい。
【原発阻止へ住民パワー】
住民投票等で原発を止めた当時の新潟県巻町町長の笹口孝明さん
東北電力の原発計画で27年間苦しんできたが、94年に原発推進町長が誕生したので、巻原発住民投票を実行する会を立ち上げた。行政に住民投票を求めたが拒否されたので、自主管理の住民投票を行い、原発反対票が上回った。町有地売却訴訟などや村議会選挙などがあり、町長リコールもやり、町長選挙で私が当選した。そして全国初の住民投票を行い、投票率89%、反対61%で町有地売却しないということで原発立地が不可能になった。しかし、国も県も電力会社も推進派も諦めず、任期満了を待つ構えになったので、町有地を一部売却した。最高裁まで争われたが、売却が正当ということで、東北電力は原発建設から撤退した。原発は国策だからという意見もあるが、住民の命と健康、財産に関することは住民も発言権、決定権があると思っている。
これらを受けて、上原公子元国立市長は、「自分たちの将来は自分たちで決めるということが国民主権だ。巻町の闘いは保守だ、革新ということはなく、子どもや孫に危ないものは残せないという思いが結果を残した。原発問題が対岸の火事のように思われているが私たち一人ひとりが決意をしなければならない。
巻町に習い、現在東京では条例制定運動を進めている。東京都は東電第4位の株主になっている。東京都民は被害者でもあり、加害者でもあることを真剣に考えなければならない」とアピールした。
脱原発市区町村長連絡会議を作りませんかと山本さんに促され、牧ノ原市長の西原さんは、そのための書簡を用意していたことを語り、連絡会議結成の足がかりに一歩踏み出した。
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