「第2回福島を忘れない・全国シンポジウム〜福島第一原発事故 現地被害自治体・現場の声を聞く」が7月21日、福島市内で開かれた。「反原発自治体議員・市民連盟」が中心になってシンポジウム実行委員会をつくって開いたもので、全国から160名の議員・市民が参加した。
はじめに、福島県川俣町議の菅野清一さんが「被災地の現状と課題について」報告した。
大量の避難者の避難住居が確保されず、たらい回しにされ、避難生活の心労が原因で58歳の主婦が焼身自殺するなど、自殺・病死が絶えない。しかし、マスコミは報道しない。
大手ゼネコンは原発でボロ儲けしただけでなく、事故後は大規模な除染で莫大な利益を上げている。現地のホールボディカウンターの検査マニュアルには、@あくまで安全を強調する、A仕事として割り切る、B親身に相談を受けない、C個別の相談は受け流す、などとなっている。
続いて、前双葉町長の井戸川克隆さんが「何故、全町が埼玉に避難したのか?」について講演した。
@町民の被曝を避けるため、A町を守るため町民の健康を守ることが最優先、B事故の規模を考えた、C政府にトータルに判断できる者がいないなどが理由だ。
放射線健康被害は隠蔽されており、原発推進の宣伝機関であるIAEAなどが県内を席巻し、死因の原因も公表されていない。私たち福島県民は被災者ではなく、被害者である。
次に、楢葉町宝鏡寺住職の早川篤雄さんが「避難者の現状と原告団長として」と題して報告した。
避難区域は現在、@20mSv以下の避難指示解除準備区域、A20〜50mSvの居住制限区域、B50mSv以上の帰還困難区域に分割されている。同じ市町村の中でも分割されている。この分割自体が極めて恣意的であり、20mSv以下が安全などという保障はない。政府の帰還政策は、被曝を恐れず戻って復興に従事しろということだ。
さらに、弁護士で福島原発被害弁護団共同代表の鈴木堯博さんが「原発関係訴訟の現状と課題について」報告した。
2011年の3・11福島原発事故以前の主な原発訴訟は、1985年のもんじゅ訴訟の二審と、志賀原発二号機訴訟で勝利したのみで、他はすべて敗訴となった。
現在15原発・核施設の差し止めを求めて、24地裁・高裁で訴訟が行われ、3・11以後すでに大阪地裁・高裁で大飯原発3、4号機の差し止めを求めた4つの訴訟が、従来の枠組みの判断で敗訴となったが、本年5月21日の大飯原発3、4号の差し止めを求めた福井地裁判決で勝利した。
最後に、福島大学名誉教授の真木實彦さんが「原発災害から3年半=復興の現局面」と題して報告した。
普通に生活する人々の基本的人権・生存権(居住の自由や就労の権利も含めて)が今までも、また、これからも長期間にわたって脅かされる状態が固定化している十数万人の人々の問題を忘れてはならず、展望を切り開く必要がある。(杉森)
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