東電福島第一原発事故で居住制限区域・解除準備区域に指定された南相馬市川房行政区の放射能汚染実態調査が9月23日、京都大学の今中哲助教をはじめ広島大学など5名の学者によって行われ、同地区の人たちなど総勢20名が参加しました。
避難生活から間もなく4年7カ月。被害者は強制的に避難命令を受け、今度は避難者の声も聴かずに避難解除です。この間どんな思いで過ごしてきたのか東電と国は理解しているでしょうか。
原発事故により一瞬にして住民は全ての財産を失いました。二度と3・11以前に戻ることはありません。解除したからといっても戻ることはなく、4年7カ月の空白は埋めることはできません。
国と県は「戻りたい」という人がいるから解除する、「戻らない」という人の話はいっさい聴く耳を持たないという態度です。先祖からの財産は、先人たちの血のにじむような苦労の賜物であると思います。それを自分の代に失うことはなんと表現すればいいのか分かりません。
復興、復興と叫びますが、放射能公害は何十年と尾を引くのです。「大丈夫です。安心です。」と、科学的根拠がないままに言うのは被害者を愚弄するものと言っても過言ではないでしょう。
原発事故は、「安全神話」を故意につくりあげてきた東電と国による人災でした。多くの被害者は5カ所、7カ所と避難先を転々とし、結果は全国に散らばってしまいました。
日本では初の避難民経験でした。「難民」として人生を狂わされたのです。生活も対人関係も人生設計も「とりあえず」のものとなりました。
幼い子どもを持つ母親が放射能を恐れて家庭崩壊になった例も多くあります。仮設住宅に長期間暮らすストレスから体調を崩して病院通い、多くの若い人は他の地へ生活基盤を移しています。
それでも古里への思いが強く、川房行政区では除染委員会を結成して取り組んできました。その一つに、文科省等が放射能線量を計測しました。しかし、住民は納得しないために除染委員会で全世帯72軒を測定もしました。それでも、納得いかない部分も多くありました。避難解除された場合、「帰還する」は72世帯中4〜5軒。これでは行政区が成り立ちません。
今回の調査は5月24日に南相馬市原町区で行われた今中助教の講演会がきっかけとなり実現しました。
家の除染が大方終わっていて、庭先は0・5〜1・0マイクロシーベルトが大部分でした。家の裏側になると3〜4マイクロシーベルトになるところもありました。
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