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2016.3.1

福島原発事故5年
帰還を諦め故郷失う
原発事故被害者相双の会 國分富夫




 東京電力福島第一原発の事故が発生してから5年になろうとしている。今なお10万人を超える避難者がいる。人的被害も次から次と明らかになっている。5周年を機会に原発事故のもたらした人々への影響と、原発事故の収束、廃炉への課題を明らかにしたい。その一つとして切り捨てられる被害者の実態を福島・相双の会の國分富夫さんに報告してもらう。


 避難者の賠償切り捨て


 原発事故、子ども・被災者支援法は実質的に骨抜きにされ、自主的避難者の住宅支援は2017年3月で打ち切り、避難指示区域も帰還困難区域を除いて2017年3月までに解除、賠償も2018年3月までで打ち切りなど、信じられないほどの原発事故被害者の切り捨てが国家レベルで進められている。
 一方、福島の子どもたちの甲状腺がん・疑いは1巡目2巡目合わせて152人(うち手術後に確定は115人)となった(2015年11月30日現在)。一部公開された症例では、リンパ節転移、遠隔転移、浸潤などが多数を占めている。
 命と健康などどうでもよいのか、国を挙げての被害者切り捨てが始まった。除染したから、線量が下がったから避難解除と言うがそうではない。セシウム134は半減期2年だから下がったのであり除染したからだけではない。しかし、セシウム137は半減期30年だから100年以上はかかるだろう。
 除染したから解除、解除しないと「復興に繋がらない」「帰還しろとは強制はしません」と国と自治体首長は口を揃えて「帰るも帰らないも勝手だ」と言う。死の街となり、復興できないような状況にしたのは誰なのか、被害者住民に責任転嫁しようと開き直っているのは明らかだ。
 そんな対応に怒りを持ちながら帰還を諦めて新天地へ移転する家族が多くなってきている。当然と言えば当然のことだ。もう5年だから、原発事故後2、3年のころは若い人たちは安全・安心そして仕事を求めて移転、「絶対帰る」という思いの人が多かった60歳以上の人々も生活環境が整っていない状況で帰還して生活できるだろうかと悩んでいる。
 老後の施設を考えたとき、施設は定員充足ではなく労働者不足で縮小せざるを得ない。一つのベッドに400人待ちと聞く、これじゃ順番がくる前に死期がきてしまう。


 原発事故は全てを奪う


 原発再稼働に政府が突き進む中、原発が福島で何をもたらしたのか、私たちは福島原発事故から、絶対の安全がなく、住民の生活環境を破壊し、自治体が存亡の危機にさらされることを学んだ。 国と電力会社が一体となり、都合のいいように何の根拠もなく住民を線引きし分断してきている。このような甚大な被害があっても、自治体は何の手立てもできないのが実態であることを学んだ。
 被害者は全てを奪われ、命からがらこの5年間過ごしてきた。ここで泣き寝入りしてしまったらこれからの子どもたち、後世のためにならない。国民の命と健康を大事にする政治を取り戻さなければならない、と思う。


 強引な避難指示解除


 原発事故で避難指示区域になっている南相馬市小高区の市立小中学校の学区内に住所があり、現在は他の市町村で暮らす児童生徒にアンケート調査したところ、来年4月に住所地の本来の学校に入学や復学の対象となる児童生徒437人中復学を予定するのは1人にとどまることが分かった。市教委員会は「震災から5年が経過し、避難先の学校になじんでいるのが理由ではないか」と推測している。
 来年度の教員配置計画を立てるため、市教委が昨年秋、保護者に対し調査した。対象は小高区内の小高、福浦、金房、鳩原の四小学校と小高中学校の計5校。5校は現在、いずれも原発から30キロ圏外の鹿島区内の仮設校舎で授業を続けている。
 戻る予定と答えたのは、来年度中学2年になる現在1年の生徒1人だけで、小学校はゼロだった。
 一方、現在5校に在籍中の児童生徒210人のうち、他校へ転向予定の児童生徒も28人いた。現在は避難先から市のスクールバスなどで通っているものの、市教委は、帰還困難区域を除く地域の避難指示が市の目標通り4月に解除された場合、2学期から5校を元の小中学校の校舎に移して授業を再開する方針を示す。
 しかし、保護者の中には「周辺の除染が終わっていない場所がある」「治安状態などが不安」などの理由から時期尚早との声が根強い。子どもをもつ親からすれば当然のことであり、安心・安全が確保されないままに元の小中学校の校舎に移して授業を再開する方針に納得できないのである。
 子どもを守るのは親であり大人だ。何と言われようが納得いかないかぎり承諾できないのは当たり前のことだ。 年20mSv以下なら安全という基準を誰が決めたのか、その根拠となるデータがないままに決められているのではないのか、だとしたらあまりにも無責任であり許されることではない。


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