3・11から5年、福島現地は「復興」どころかますますひどくなる印象さえ持つ。
一昨年の冬から福島に入り、浪江町での除染作業を皮切りに、第一原発構内での可燃物等の分別作業に従事した私にとって、今、福島の未来を語ることは正直できない。
一見のどかに見える浪江町の山里だが、住民の姿はなく、あるのは黒いフレコンバックの山。1日約7000人が働くという第一原発構内(イチエフとよぶ)では、桜の木が次々と切り落とされ、鈍色(にびいろ)の巨大な汚染タンクが建っていく。不条理というしかない福島の現実、しかし嘆いていては何も変わらない。5年という歳月を直視し、未来への道しるべを探っていかなければならない。私は1年3カ月の福島での原発作業を経験し「伝えなければならない」と思い、一冊の本(『福島原発作業員の記』(八月書館)を出し、各地で実態報告を行っている。作業員から見た福島原発作業の実態、矛盾をできるだけ多くの人に知ってもらいたいと思ったからだ。
治外法権の原発作業
除染も含めると2万人以上といわれる原発収束現場。全国から福島に集まる作業員たちの労働環境は劣悪そのものだ。多重下請けの会社の下で同じ仕事をしていても日給はバラバラ、社会保険未加入は当たり前、休暇制度など存在しなかった。おまけに下請け会社はコスト削減のため一つ屋根の下に多くの作業員を居住させる「タコ部屋」生活を強いている。労働法も、人権も、プライバシーもない治外法権の世界、作業員は使い捨ての労働力そのものだった。
チェルノブイリでは事故から5年経った年に法律が作られ、原発処理作業員(リクビダートルとよばれる)と避難住民・帰還者の、被ばく量管理や健康管理を、国が一元的に行うこととなった。法律では、健診は無料、健康状態によってリハビリや保養なども行うという。 日本の作業員は、いったん離職したら後は自費で健診し、発症したとしても自分で労災申請をしなければならない。その認定は「狭き門」、やっと昨年10月に福島原発で初めて白血病の認定が下されたくらいだ。一方で、今年4月からは原発事故での緊急作業者の被ばく線量限度が、現行の100ミリシーベルトから250ミリシーベルトへと引き上げられ、事故が起きれば作業員はとことん収束作業に駆り出される運命が待っている。
5年目の風景はチェルノブイリとは対照的である。今、国は「風化」と「棄民」を進めようとしているように見える。作業員も避難者も隔離され、切り捨てられる運命にあるのだろうか。
今後長く続く収束廃炉作業では、さらに何百万人もの作業員が必要とされる。3・11は、今も次々と新たな「被ばく者」を生み出していく人災と言える。
確実に「死に至る病」を生産する労働、こんな命を削る非人間的な仕事があっていいはずがない。身をもって事故収束作業に携わった者として、「被ばく者」を増やす原発は直ちに廃止しなくてはならないと切に思う。
国の主体で廃炉推進を
5年という節目を迎え、沈黙していた作業員たちも自分たちの声をあげる時がきたと思う。無法状態の使い捨て雇用にメスを入れ、安心して働ける職場環境に変えなければならない。
営利を追求する事業でない以上、国が一括して管理する組織を作り、働く者の雇用と労働条件、福利厚生も含めた待遇改善が求められる。生涯にわたる作業員の健康管理も一元的に行うべきである。東電任せで、監督官庁が分散されている現在の事業のあり方を抜本的に見直し、国が主体となった公社のような組織を立ち上げ、除染も廃炉作業も主体的にあたるべきだと思う。
福島から東京に戻ると、遠い異国から帰ってきたかのように、「なかの様子を聞かせてください」といろいろな人に尋ねられる。高い塀に囲まれ、外界から遮断されたイチエフは、まるで鎖国状態のようだ。暗黙のかん口令が敷かれ、なかで起きたことはなかなか外部には伝わらない。
だから、なかで働いた者として、体験した除染・廃炉作業の実態、違法事実をできる限り発信し、働きやすい現場への提起をしなければと思う。置き去りにされていた私たち元作業員も、「被ばく者」として、避難者や住民とともに国や東電に声を上げ、法制定も含めた大きなうねりを、作り出さなければならないと5年目の今思うのだ。
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