ネルソン・マンデラ氏が12月5日、南アフリカ・ヨハネスブルグの自宅で、95歳でこの世を去った。「真の指導者は自国民の解放ためにすべてを犠牲にする覚悟ができていなければならない」、その発言通りの生涯であった。
ロベン島を含む27年間の収監を経て、アパルトヘイト(人種隔離政策)を終息させ、94年選挙で南アフリカ初の黒人大統領に選出され、黒人と白人の融和、機会均等の社会を実現させた。人々は「マディバ」の愛称で呼びかけ、死去に際して全国の都市で「トイトイ」というダンス・マーチが繰り広げられ、氏への悲しみと敬愛の念が表現された。
マンデラ氏は1918年生まれ、42年、25歳の時にアフリカ民族会議(ANC)の青年組織に入り、活動した。反アパルトヘイト闘争の指針となった「自由憲章」の草案策定に決定的役割を果たし、60年代はANCの非公然軍事組織の司令官、南ア共産党の党員として活動した。国家反逆罪による投獄中は医療さえ受けられず、呼吸器疾患を患い、強制労働によって目を悪くした。しかし、釈放を求める世論の高まりを時の政権は無視できず、90年に釈放された。
マンデラ氏は生前、88年のアンゴラの「クイト・クアナバレ」戦闘での解放勢力側の決定的な勝利が地域の相対的力関係を変え、ナミビアの独立をもたらし、南ア軍を完敗させたと述べた。
氏は南アでの闘争ばかりでなく、不正義、差別と貧困、失業と闘う世界の諸国民を奮い立たせた革命家であった。
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