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第U部 私たちはどんな時代に生きているか |
2.日本資本主義の形成と発展
(1) 明治国家と日本資本主義
資本主義で先行し武力を背景にした欧米諸国に開国を迫られた日本は、不十分なブルジョア革命としての明治維新によって「上からの資本主義」を作り出す方向に進みました。維新政府は、帝国主義列強に追いつくべく「殖産興業」を掲げて工業化に奔走します。基幹産業部門では官営工場を造って運営し、軌道に乗ると財閥に払い下げました。20世紀初頭には産業資本が確立した日本資本主義は、第一次世界大戦によって急速に発展し、独占資本の支配が完成しました。それとともに天皇制は絶対主義的内容を失ったものの、独占資本はその絶対主義の残骸を神殿に飾ることによって、「ブルジョア君主」として最大限に利用するところとなりました。遅れて植民地再分割を争う帝国主義諸国に仲間入りした日本の独占資本にとって、天皇制は大きな利用価値をもったのです。
ヨーロッパの階級闘争も教訓化し、帝国大学などを通じて出身階層を問わず能力ある者を引き上げ、支配層内に吸収するなど巧妙な機構を形成しました。
農村における膨大な潜在労働力の滞留は、労働者の階級としての自立を遅らせる一因となりました。また労働者や農民の萌芽的な決起に対しても、明治政府は社会主義への弾圧法規や労働組合の否認など、厳しい抑圧政策をとりました。このため日本の労働組合は組織化が遅れ、労働者政党も未成熟にとどまりました。
日本資本主義は、「富国強兵」策で武力を背景に台湾(1896年)、朝鮮(1910年)、中国東北部(1931年)を植民地とし、さらに領土・市場を求めてアジア諸国への侵略を進めました。無産者階級の運動が侵略に充分には抵抗できず、大政翼賛体制に飲み込まれていきました。
日本の侵略戦争は、アジア諸国に2千万人の、日本人にも3百万人以上の犠牲者をもたらし、苛烈な沖縄戦とヒロシマ、ナガサキの原爆で終止符を打ちました。
(2) 明治憲法体制の解体と日本国憲法体制の成立
日本は第二次大戦に敗れ、明治憲法下の軍国主義体制は解体されました。日本の支配層は、天皇制の存続と引替えに不戦・非武装の憲法を受けいれましたが、独占資本の復活とともに憲法第9条を敵視し、「押しつけ憲法」と非難してきました。しかし日本国憲法は、占領軍の指導によったとはいえ、民主的に選出された国会で新たに制定されたものであり、初めて自由と平和の喜びを経験した国民の強い支持を受けました。それは、主権在民を定め、不戦・非武装を誓い、基本的人権を保障し、さまざまな社会権をも保障した、最も先進的な民主的憲法でした。
経済民主化のために財閥解体や農地解放も行なわれました。戦争犯罪人は公職から追放され、社会党、共産党も活動を開始し、労働組合は法認されて組織率も 50%を超えました。
憲法も民主主義も、当初は必ずしも民衆自らの手でたたかい取ったとはいえず、象徴天皇制を残し、天皇やそれを利用した独占資本とその政治家などの戦争責任があいまいにされ、労働組合が企業別に出発したことなどは、戦後民主主義の脆弱点でしたが、幾多のたたかいの中で、憲法の理念は徐々に日本社会に根づいていきました。 |
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